クンデラなど

最近読んだ本など。

■小説の精神
ミラン・クンデラによる小説論。

まさにヨーロッパの文化エリートの書。ヨーロッパ的な思考システム(特にその哲学)に捉えられると、それなしにものを考えることなど不可能に思えてくるのだが、少し離れて眺めてみると、それはやはりヨーロッパのやり方にすぎないのであり、何に対してであれ(ナチズム、共産主義の害悪など)他の地域や国であれば、また違った思考法、分析の方法があり、違った理屈のつけ方があり、違った対処の仕方があるのだということに思いが至る。

結局フランスでもドイツでも、ヨーロッパ人というものは、無知で野蛮で集まるままにしておくと何をしでかすか分からない「大衆」(嫌な言葉だ。オルテガの『大衆の反逆』とか。いったい何様なのか。)を良識のあるエリートがギュッと上から押さえつけ、教育してやらないと大変なことになる、という考え方なのだなあという印象を新たにした。そして、エリートたちがそう考えるからこそ、大衆はその通りにふるまうことになる。つまり、隙があればエリートに牛耳られる上層部を乗っ取って、なにか大変なことをしでかしてやろうと大衆はうずうずすることになるのだ。その欲望をうまく解放し利用したのが、たとえばヒトラーではなかったのか。懲りないやつら。

ロゼッタ
ダルデンヌ兄弟監督による映画。1999年カンヌ映画祭パルム・ドール受賞。
『ある子供』に全体の感じはよく似ているが、こちらの方がとてもよかった。

母と二人でキャンプ場の車の中で暮らすロゼッタ。必死に仕事を探すが見つからない。あるゴッフルの店でようやく仕事を得るが、三日後に店長の息子と入れ替わりにクビになる。同じ店で屋台の売り係をしている男リケが何かと世話を焼いてくれる。仕事を失った彼女に、リケは屋台でずるをして自分のゴッフルを内緒で売る仕事を持ちかける。売り上げはすべてロゼッタが取ればいいとまで言う。しかし彼女は断り、そのことを店長に告げ口し、リケは首になり、彼女が替わりに雇われる。失業したリケは腹を立て、喧しいバイクで彼女につきまとう。
キャンプ場では母親がまた酒によっぱらい、キャンプ場の管理者とセックスをして、外で寝ているのを家(キャンピングカー)まで連れて帰る。そしてゆで卵を作り、ガスの栓を開いたままベッドに横になる。ようやく安らぎを得たと思ったその瞬間、ガスが切れる。彼女は管理者のところへ行ってガスのボンベを買い、思いボンベを引きずりながら家に帰る途中、リケがまたバイクで現れて彼女の周りをぐるぐると回って嫌がらせをする。彼女は初めて感情をこらえきれなくなり、ボンベの上に崩れ落ちて嗚咽する。

チェンジリング
イーストウッド監督作品。Angelina Jolie主演。

電話の交換局ではたらくクリスティン・コリンズは息子と二人で暮らしている。ある日、一人で家で留守番をしていた息子が失踪する。警察に捜査を頼むが、やがて警察が発見した男の子は、息子とは明らかに別人だった。しかし警察の本部長は強硬に「これがあなたの息子だ。専門家もそうだと言っている」と言い張り、さらには「ひとまず試しに引き取ればいい、問題があれば私が聞くから」と言って男の子を引き取らせる。
しかし男の子は息子よりも7センチも身長が低く、割礼もしていた。そのことを警察に言っても本部長は受け入れず、さらには警察おかかえの医師を送り込んで、数ヶ月間で男の子が変化しただけだと説得し、さらには近所にクリスティンを中傷する噂を広める。
クリスティンは歯医者と学校の教師から、男の子は彼女の息子ではないという証言をもらい、それを新聞に発表しようとする。その直後、クリスティンは警察署の中で拘束され、精神病院へと送られる。
病院にはクリスティンのように警察に都合の悪いことを言おうとする女性たちがたくさんいた。クリスティンは何とか猫をかぶろうとするが、医師はクリスティンを「おかしい」と言葉巧みに追い詰める。
教会の牧師がクリスティンを救うために動き出す。裁判を起して病院から女性たちを開放し、さらに公聴会が開かれて本部長は永久に停職、警察のトップも解任される。
やがて、男の子たちを二十人も殺した男がつかまる。そこにクリスティンの息子も囚われていたことが分かる。それでもクリスティンは望みを捨てず、息子を探し続ける。

実話を元にした映画らしい。ロサンゼルス警察の上層部の悪夢のような腐敗ぶりと、それと戦うクリスティンのけなげさ、それにまだ悪に染まっていない警察官や牧師たちの勇気と行動力が感動的。