日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その3

五台山
円仁が五台山を巡礼したのは840年の四月から七月の間であった。円仁はまず竹林寺に滞在した。そこで円仁の二人の弟子は具足戒を受けて一人前の僧となった。大華厳寺ではまだ日本にない天台の書物を書き写した。
さらに円仁は五台山の五つの峯をまわり、その洞窟や塔や輪転蔵について、それらの場所にまつわる数々の伝説や不思議について書いた。

この地域の自然の美しさについて、円仁は特に峯々の坂道や頂を覆う高山植物の美しい花々に強く印象づけられた。それらは「錦のように一面に花ざかりで」、馥郁とした香りが「人々の着物に薫じた」。

中台の水たまりのある頂の模様を円仁は次のように描写している。

……峯中に水は地から湧き出て、柔らかい草が一インチほどの長さに伸びていて、一面に厚く地面を覆っている。その上を歩めば草は寝るが、足を持ち上げれば再び起き上がる。歩むごとに〔足が〕水に湿り、氷のように冷たい。ここかしこに小さな穴があり、水が溢れている。峯中には砂と石があり、数えきれないほどの石のパゴダがあちこちに散在している。きれいな柔らかい草が苔の間に生えている。地面は湿っているこれども、ぬかるみにはならない。というのは、苔や柔らかい草の根が一面にはびこっているから、旅人たちの靴や足が泥まみれにならないのである。

また東台の頂から遠からぬところに聖なる洞窟があって、水がぽとぽとと落ち、真っ暗だった。彼はこの山頂から見た嵐の様子を記述している。

……夕暮れ直前に、空には急に雲が広がり、白い雲がかたまりになって東の方に向かって谷底にたなびいた。たちまち赤く、たちまし白く、それらは上に渦巻いた。雷がごろごろと高く鳴った。大騒ぎは深く谷底でなされていたが、我々は高い峯から低く頭をたれてそれを見下ろしていたに過ぎないのである。

この〔文殊の〕聖なる場所にひとたび入ると、きわめていやしい人影を見ても軽蔑の念を起こさず、驢馬に会っても、それが文殊菩薩の化現であるかも知れないと懸念する。目の前にあるすべてのものが文殊菩薩の仮の姿であるという思いにかられる。聖地はおのずからそこを訪れた人たちに尊敬の念を起こさしめるのである。

やがて円仁たちは唐の都、長安に向けて旅立った。
(つづく)