2014-01-01から1年間の記事一覧

日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その5

故郷へ帰ろう 円仁は八四一年から百回以上に渡って帰国の許可を願い出るが入れられなかった。八四三年七月には円仁の弟子の一人、惟暁が病気で亡くなった。帰国の許可がようやく下りたのは八四五年五月、還俗と追放という形でのことだった。 中国の友人たち…

日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その4

長安このころ円仁は修業への情熱に取りつかれていたに違いない。早くも八月には長安に入り、各方面への挨拶が済むと、円仁はたたちに彼が学ぼうとするそれぞれの題目について、一流の権威の名前の推薦を受けた。そして四人の教師の下で教えを受けた。 彼はま…

日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その3

五台山 円仁が五台山を巡礼したのは840年の四月から七月の間であった。円仁はまず竹林寺に滞在した。そこで円仁の二人の弟子は具足戒を受けて一人前の僧となった。大華厳寺ではまだ日本にない天台の書物を書き写した。 さらに円仁は五台山の五つの峯をまわり…

日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その2

友人たち大使たち総勢二百七十人からなる遣唐使節の本体は十二月三日、長安に到着した。円仁は揚州で天台山へ行く許可を待っていたが、いつまでたっても許可は得られなかった。やがて大使たちは長安から帰ってきて、帰国に向けて移動を始めたが、円仁はたと…

日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その1

エドウィン O. ライシャワー著『円仁 唐代中国への旅 「入唐求法巡礼行記」の研究』を読んだのでその内容をまとめてみます。航海は風(と神)まかせ 円仁は日本天台宗を開いた最澄の弟子で、838年に最期の遣唐使の一員として唐に渡った。渡航は第一回(836年…