日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その5

故郷へ帰ろう
円仁は八四一年から百回以上に渡って帰国の許可を願い出るが入れられなかった。八四三年七月には円仁の弟子の一人、惟暁が病気で亡くなった。帰国の許可がようやく下りたのは八四五年五月、還俗と追放という形でのことだった。
中国の友人たちは集まって彼の荷造りを助け、あらゆる方面で援助を惜しまなかった。惟暁の葬列にも加わった還俗させられた一人の僧が、べん州(現在の開封)まで円仁たちに随行すると申し出た。円仁は「彼の気を使ってくれることがあまりにも大きかったのを見て、彼の願いを断り切れなかった」という。また別の僧は餞別に白檀の厨子と像を円仁に与え、寺役人たちは次のような挨拶を彼らに述べた。

……昔から今に至るまで、求法の人々は実際さまざまな困難を経験して参りました。我々は貴僧らがどうか穏やかであられることをお祈りいたします。このような困難に遭遇しなかったならば、貴僧らは故国にお帰りになる術もなかったでありましょう。我々は貴僧らが最初からの本望を遂げて聖教と共に貴国にお帰りになれるのをお喜び申し上げます。

五月十四日の朝早く、円仁たちは五年間来住み慣れたわが家であった寺院を立ち去った。
翌朝、後援者であった楊という高官にお別れの挨拶に立ち寄ったところ、彼は餞別にだん茶一連を暮れた。以前宮中の僧で、今は楊の家にかくまわれている人物からは「別れの挨拶に包まれた」悲しい手紙を受け取った。二人の別の還俗した著名な僧侶が円仁を訪れた。また、別の後援者であった李元佐は甥と共にやって来た。彼らは円仁たちに剃った頭を隠す毛氈でできた帽子を買って与えた。
その夜、円仁たちははるばる東を目指して長安の市から一歩を踏み出した。楊は人に托して手紙をもたらした。手紙には「貴僧の弟子である私は、貴僧の途中の州や県にいる私の旧知の官吏たちに宛てて、私自身の筆跡による五通の文書をしたためました。もし貴僧がこれらの手紙をもっていけば、彼らは貴僧を万事好都合にいくように助けるでしょう」と記されてあった。
寺にしばしば円仁を訪ねたことがあり、円仁が羊毛のシャツとズボンを絹布少々を与えたことのある、別の官吏が息子と共にやって来て、去り行く円仁たちに「絹二巻、茶二ポンド、だん茶一連、銅貨二連および途中の人物に宛てた二通の手紙」を贈り、円仁にも手紙を呈した。円仁たちの後援者の一商人は使いを送り、円仁たちに「絹一巻、ウール地一反および一千文」を贈った。
李と楊の使いの人物とは、なお円仁たちと別れるのを欲せず、市の二、三マイル東までついてきて、市外で最初に彼らが休息するところで共に一夜を過ごした。ここで李は円仁に惜しげもなく緞子十巻、馥郁たる白檀の一片、像が入った白檀の厨子二基、香盒一合、五つにとがった銀の金剛杵一箇、後に日本皇室の御物となった銀文字で書かれた金剛経一巻、柔らかいスリッパ一足および銅貨二連を餞別として与えた。李はまた円仁の衣と袈裟を所望し、「それらを家に持ち帰り、余生長く香をたき供物を捧げたい」と願って、それらを受け取った。李の送別の辞は特に感興が深かった。

貴僧の弟子は、はるか遠くから仏法を求めてこられた貴僧にお目にかかることができ、数年間、貴僧を供養することができたのは、生涯にとっての大いなる幸せでありました。しかし、私の心は満足できず、貴僧と永久にお別れすることを望みません。貴僧は統治者によって、今この苦しみに遭われ、貴僧の故国にお帰りになります。貴僧の弟子はおそらく再びこの世では貴僧にお目にかかることはできないであろうと思います。しかし、きっと将来、諸仏の浄土において、私が今日そうであるように、再び貴僧の弟子となるでありましょう。貴僧が仏果を成就されたとき、どうか貴僧の弟子を忘れないでください。

こうして円仁たちはその道中多くの中国人、朝鮮人たちに助けられ、山東までを移動した。しかし追放とは矛盾する別の勅令のために円仁たちは山東に留め置かれることになった。そして地方でも仏教寺院が破壊され、その財産を没収され、僧たちが還俗させられるを見た。
八四六年三月、武帝が死んだ。その後を継いだ武帝の叔父、宣宗はほとんどただちに甥の仕事を止めた。五月には大赦が行なわれ、弾圧は終わった。
円仁たちは再び山東の赤山朝鮮人社会の親切な頭目の張詠に食料や宿泊のやっかいになったばかりではなく、帰航にあたっても彼らの援助を求めた。人に預けた荷物の処理や、帰航のための船の手配に一年以上待たされてから、円仁たちはようやく八四七年の九月二日、真東に向けて航海を始めた。朝鮮の船は小型だが丈夫で、しかもその航海技術は日本人遣唐使たちが往路で見せたあの悲劇的な技術に比べてはるかに勝っていた。円仁たちは朝鮮半島の沿岸を伝い進み、十日には九州の西北岸沖の島に、そして十七日には博多湾に到着した。こうして円仁の長いたびは終わり、円仁の日記もまた唐突に終わっている。