日本人による西遊記 〜円仁 唐代中国への旅〜 その4

長安

このころ円仁は修業への情熱に取りつかれていたに違いない。早くも八月には長安に入り、各方面への挨拶が済むと、円仁はたたちに彼が学ぼうとするそれぞれの題目について、一流の権威の名前の推薦を受けた。そして四人の教師の下で教えを受けた。
彼はまず元政のもとで金剛界の研究を始める手はずを整えた。

円仁は勉強を始めるに際し、灌頂を含むさまざまな儀式を受けた。元政のもとで三ヵ月半の業を卒えたとき、また一連の儀式を受けた。この中には、”法をを伝えるものとなる洗礼”(伝法灌頂)が含まれた。この儀式は水に浸かるのではなく、円仁の頭の上に五つの水瓶から水を注いだのである。それはおそらくこの研究のコースを終えたお祝いの儀式であり、円仁は、同日、当初かの偉大な玄奘によって建立された当時市内の東南部にあった高い塔に昇ったのである。今日では”大きな野生の鵞鳥の塔”(大雁塔)として知られ、極端にさびれ、往時の面影を失った西安の城壁の外、南約二マイルのところに建っている。

この塔は六五二年に建設され、このときすでに建立から二百年近くがたっていた。今でも最上階まで登ることができる。
円仁はさらに胎蔵界を義真について学び、法全からもそれについて教えを受けた。法月からはサンスクリット語の文法を学んだ。こうして二年間で円仁はその正式な学課のすべてを学び終えた。
それから数ヵ月後の八四二年十月、仏教に対する実質的な弾圧の始まりを告げる最初の勅命が下った。
(つづく)