発信力よりも消化力 〜日本語が亡びるとき〜

水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読んだ。

むちゃくちゃ刺激を受けた。本書が重要な本であることは間違いがないと私は思う。日本語や小説に興味のある人だけではなく、言葉を使うことを生業にする人、現代日本において日本語かあるいは西洋の言葉で学問をする人、いやそれにとどまらず、どんな形であれ明治維新以来の西欧文化の影響を受けて生きている人、つまりは現代に生きるすべての日本人にとって、重要な事実の指摘と考察と提言をこの本は含んでいる。

その一方で、これは実に奇妙な本だ……著者が論証しようとしていること、つまり<叡智を求める人>が<読まれるべき言葉>を読み書きする媒体としての日本語はいま亡びつつある、という命題のために著者が引き合いに出す事実が、ことごとく著者の意図に反してその反対の命題、つまり、日本語は亡びないということを示しているように、思われてならないのだ。それはまるで、著者はまったく逆のことを証明するために戦略的にある主張をしているようでもある。この本が英語圏で読まれ、それによって少しでも日本語を<普遍語>に近づけ、あるいは英語との戦いを有利に運ぼうと、わざと英語におもねっているようでもある。もちろん、著者がそのような戦略を意識的に持ってこの本を書いたということは(多分)ありえないだろう。しかし、著者自身が気づかずにいる著者の中のある欲望、ひょっとすると近代日本文学という通路を通って知らず知らずのうちに著者の中に移植された「偉そうな男」たちの欲望が、このような本を書かせたということは、ありえないことではない。

日本に数え切れないほどの文学の新人賞があり、日本列島全土に細かい網をはって、わずかでも書く才があれば拾い上げてくれるようになって久しい。すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手でもあるという理想郷は、その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前、日本にはいち早く到来していたのであった。
 だが、そのときすでに日本近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった。

ここでもう一度日本を離れ、「文学の終わり」について考えてみたい。
 今、世界中の多くの人が「文学の終わり」を憂えているが、それは、過去に黄金の時代を見出しては懐かしむという老いの繰り言の類いのものではない。人が「文学の終わり」を憂える背景にはまごうことのない時の移り変わりがあるのである。そこには歴史的な根拠がある。
 その歴史的な根拠とは何か?
一つは、科学の急速な進歩。二つは、<文化商品>の多様化。そして三つは、大衆消費社会の実現。主にこの三つの歴史的な理由によって、近代に入って<文学>とよばれてきたもののありがたさが、今、どうしようもなく、加速度をつけて失われていっているのである。

しかし著者は「それでいて、広い意味での文学が終わることはありえない」と言う。なぜなら、科学は「人はいかに生きるべきか」という問いに答えてはくれない、人間には<書き言葉>を通じてのみしか理解できないことがある、<叡智を求める人>が<読まれるべき言葉>を読みたいと思わなくなることはありえない……。

 ほんとうの問題は、英語の世紀に入ったことにある。

 これから五十年後、さらに百年後、さらに二百年後、そのような<叡智を求める人>が、果たして<自分たちの言葉>で<読まれるべき言葉>を読み続けようとするであろうか。
 それは、<国語>というものが出現する以前、地球のあちことを覆っていた、<普遍語/現地語>という言葉の二重構造が、ふたたび蘇ってきたのを意味する。

(太字部分は原文では傍点)

インターネットという技術の登場によって、英語はその<普遍語>としての地位をより不動のものにしただけではない。英語はその<普遍語>としての地位をほぼ永続的に保てる運命を手にしたのである。人類は、今、英語の世紀に入ったというだけではなく、これからもずっと英語の世紀のなかに生き続ける。英語の世紀は、来世紀も、来々世紀も続く。英語と英語以外の言葉を隔てる言葉の二重構造は、今世紀だけでなく、来世紀も、来々世紀も、そしてその先も、多分ずっと続くのである。

 インターネットによる英語の支配と、インターネットで流通する言葉が多様化しているという事実とは、まったく、矛盾しない。英語と英語以外の言葉とでは、異なったレベルで流通しているからである。
それは、インターネット上でいずれ実現する<大図書館>というものについて考えれば明らかである。

<大図書館>が実現しようと、そこには、こと言葉にかんしては、背の高い言葉の壁で四方が隔てられた、ばらばらの<図書館>が存在するだけである。そして、それらの<図書館>のほとんどは、その言葉を<自分たちの言葉>とする人が出入りするだけなのである。
 唯一の例外が、今、人類の歴史がはじまって以来の大きな<普遍語>となりつつある英語の<図書館>であり、その<図書館>だけが、英語を<外の言葉>とするもの凄い数の人が出入りする、まったくレベルを異にする<図書館>なのである。

 そしてこの英語への一極化はインターネットや自然科学系の学問だけではなく、社会科学、人文科学へと広がりつつある。そして著者は、その動きはやがて<学問>の領域を越えてその外へ広がっていくだろうと言う。本来は別の言葉に置き換えることのできない<真理>、それに到達するにはいつもそこへと戻って読み返さねばならない<テキスト>そのものも、そのうち英語で流通するようになるのだと。

 アリストテレスがいまだ読まれ続けているのは、かれの書いたものが<テキストブック>には還元できない<テキスト>であるからにほかならない。人はアリストテレスを理解するためには、最終的にはかれの<テキスト>へと戻らざるをえない。これから先も、ギリシャ哲学の専門家はアリストテレスギリシャ語で読み続けるであろう。だが、英語の世紀に入り、<学問>が英語に一極化されるにつれ何がおこるか。それらの専門家も、アリストテレスにかんして何かを書くときは、<自分たちの言葉>で書かずに英語で書くようになる。すると、アリストテレスの引用も、<自分たちの言葉>に翻訳したものではなく、英語に翻訳したものを使うようになる。その結果、アリストテレスにかんして書かれたものが英語で流通するようになるだけでなく、しだいしだいに、アリストテレスの<テキスト>そのものが、英訳で流通するようになるのである。
新約聖書』の現存する一番古い<テキスト>は、当時地中海文明の<普遍語>であったギリシャ語で残っているが、『新約聖書』がのちに西ヨーロッパに広がったとき、それは当時西ヨーロッパの<普遍語>だったラテン語訳で広がった。もとはパーリ語サンスクリットで書かれた「仏典」も、漢文圏の中国や韓国や日本では、<普遍語>の漢文訳で広がった。「聖典」そのものが何語で書かれていようと、その「聖典」は<普遍語>で広がる。
 今も昔も、これが<普遍語>のもつ力である。

 別の箇所でも著者はこう述べている。「ヨーロッパでは、教会の権威のもとで、ラテン語という<普遍語>の<図書館>に、二重言語者の読書人が、一千年にわたって吸いこまれていたのである。まさに、科挙制度のもとで、みなが漢文という<普遍語>の<図書館>に吸いこまれていたのと同じである。」
 しかし『新約聖書』が西ヨーロッパに広がったとき、フランスに書き言葉としてのフランス語があったわけではない。フランス語はラテン語からのちに派生したのである。中国や韓国や日本も同じで、そこでは漢文は<現地語>(中国の場合)であるか、あるいは書き言葉がなかった(日本などの場合)のだから、<現地語>と<普遍語>の間で<普遍語>が選ばれたというのとは違う。
 しかし著者は、この先でさらに大きな跳躍をおこなう。

 この先、アリストテレスでさえ英語で流通するようになるとき、もし英語で書くことができれば、いったいどの学者がわざわざ<自分たちの言葉>で書こうとするであろうか。
 いや、もし英語で書くことができれば、学者のみならず、いったい誰がわざわざ<自分たちの言葉>で書こうとするであろうか。
<学問の言葉>が英語という<普遍語>に一極化されつつある事実は、すでに多くの人が指摘していることである。だが、その事実が、英語以外の<国語>に与えうる影響にかんしてはまだ誰も真剣に考えていない。<学問の言葉>が<普遍語>になるとは、優れた学者であればあるほど、自分の<国語>で<テキスト>たりうるものを書こうとはしなくなるのを意味するが、そのような動きは、<学問>の世界にとどまりうるものではないのである。<学問>の世界とそうではない世界との境界線など、はっきりと引けるものではないからである。英語という<普遍語>の出現は、ジャーナリストであろうと、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、<叡智を求める人>であればあるほど、<国語>で<テキスト>を書かなくなっていくのを究極的には意味する。
 そして、いうまでもなく、<テキスト>の最たるものは文学である。

 これは端的に事実に、それも著者自身がここまでに本の中で挙げてきた事実にことごとく反するのではないか。著者の言うとおりだとするなら、なぜ現代のヨーロッパ人は全員ギリシャ語かラテン語で書かないのか。なぜ漢文圏に住んでいた日本人や韓国人、ベトナム人はいま漢文で書かないのか。平安時代の日本の知識人はみな漢文の素養があり、政治や学問はみな漢文でおこなっていたが、それでも日本語が亡びるどころか、数々の日本語による文学作品が生まれた。一九世紀ロシアの知識人たちは日常でも使うほど外国語に堪能だったが、ロシア語が亡びるどころか、ロシア語による数々の古典といわれる文学作品が生まれた。これらはみんな著者がこの本で触れていることなのに、どうして結論だけが反対になるのだろう?そもそも日本の近代文学が英語で書かれていないことが、その最たる反証ではないか?
 もちろん、この予想される反論に対して著者はいろいろと予防線を張っている。曰く、近代日本で<国民文学>が栄えたのは<国語の祝祭>の時代という、長い歴史の中では特殊な一つの時代に過ぎなかった。曰く、平安時代に日本が独立した文化圏として栄えたのは、日本が中国から海を隔てた列島であり、科挙制度による才能の吸出しを逃れたからである。曰く、ヨーロッパの国語で学問がなされたのは、ヨーロッパの言語が互いに似ていて、みなかつての<普遍語>であるギリシャ語とラテン語から大きく影響を受け、ほとんどの抽象言語を共有しており、互いへの翻訳が簡単だったから、等々。

 <普遍語>と<普遍語>にあらざる言葉が同時に社会に流通し、しかもその<普遍語>がこれから勢いをつけていくのが感じられるとき、<叡智を求める人>ほど<普遍語>に惹かれていってしまう。それは、春になれば花が咲き秋になれば実が稔るのにも似た、自然の動きに近い、ホモ・サピエンスとしての人間の宿命である。

 <叡智を求める人>は、自分が読んでほしい読者に読んでもらえないので、ますます<国語>で書こうとは思わなくなる。その結果、<国語>で書かれたものはさらにつまらなくなる。当然のこととして、<叡智を求める人>はいよいよ<国語>で書かれたものを読む気がしなくなる。かくして悪循環がはじまり、<叡智を求める人>にとって、英語以外の言葉は、<読まれるべき言葉>としての価値を徐々に失っていく。<叡智を求める人>は、<自分たちの言葉>には、知的、倫理的な重荷、さらには美的な重荷を負うことさえしだいに求めなくなっていくのである。

 では著者は、どうしてこの本を英語で書かなかったのか?ルネッサンス期に活版印刷がはじまると、<現地語>による書物がまたたくまにラテン語による書物を席巻したのはどういうわけなのか?夏目漱石福沢諭吉はなぜ英語でその主要な著作を書かなかったのか?
 それは言うまでもなく、夏目漱石福沢諭吉も、また著者も、日本語で考えたことを、日本人に日本語で読んでもらいたかったからである。だから日本語で書こうと思ったのだし、その結果、日本語はますます豊かになり、<読まれるべき言葉>としての価値をますます増しているのである。この本に出てくるノルウェー人やウクライナ人の作家も同様である。英語には英語の叡智があるかもしれんが日本語には日本語の叡智があるのであり、それは英語では得がたいものであって、しかも多くの日本人はその価値を知っている。


私はそもそも疑問に思うのだが、ある言語や文化が繁栄し存続していくための条件は、その発信力にあるのだろうか?

考えてみれば文化の繁栄のあり方には、論理的に二つしかない。一つは、他の文化からの影響を受けずに繁栄するあり方であり、もう一つは、他の文化からの影響を受けることにより繁栄するあり方である。前者は「自分らしさ」を追求し、先鋭化させ、洗練、円熟に至る道であり、後者は外からの影響を受けて自ら変節し、言語そのものさえ変化させながら進化、展開していく道である。
ある言葉が自分を<普遍語>であると思いこみ、他の言葉からその言葉特有の叡智を取り込むことに対する興味を失ってしまうと、その時点から言葉は「自分らしさ」を追求し、先鋭化させ、洗練させる以外の道を失う。やがて洗練がいくところにまでいきついて、言葉の潜在力がすべて開発されつくしてしまうと、そこから先は、その言葉は本質的に新しいものを生み出すことができない。ラテン語が亡びたのは、ある時期以降は「出す」ばかりで「受け入れる」ことがなかったからである。漢文も同様である。漢文や科挙制度に代表される漢族の国家は、統一がなり時代を経ると常に弱体化して、異民族に攻め込まれるということを繰り返してきた。そうやって異民族からの暴力的な刺激を受けてようやく少しだけ息を吹き返すということを繰り返してきたのである。著者もまた、福沢諭吉による「江戸幕府の政治に正当性を与えつづける朱子学者たちへの怒り――漢文の<図書館>の外へは一歩も出ようとしない儒者たちへの怒り」について述べている。ミミズだって外部からの刺激がなければまともに育たないと安部公房も書いているではないか。現代のフランス語も、森羅万象あらゆることが自分たちの形而上学で説明ができ、自分たちの分類法で分類できるはずだというその思想に宿る信念の傲慢、中華思想が、まさにフランス語や思想の弱体化を引き起きしているように思えてならない。

つまり発信力ではなく、包容力、あるいは消化力が重要なのではないだろうか。多様なものを多様なまま受け入れて、なんとか自分たちの言葉の中にそのエッセンスを吸収する能力。自分たちの言葉では生み出すことのできない叡智を外部から取り入れる能力。「出す」のではなく「受け入れる」能力。そしてその過程で、自ら変化していく能力……これらの能力こそが、ある言葉が亡びないために重要なのではないだろうか。

 著者は言う。

 たとえば、どうやってかれらが知ることができるでしょう。どのような文学が英語に翻訳されるかというとき、主題から言っても、言葉の使い方からいっても、英語に翻訳されやすいものが自然に選ばれてしまうということを。すなわち、英語の世界観を強化するようなものばかりが、知らず知らずのうちに英語に翻訳されてしまうということを。どうやってかれらが知ることができるでしょう。かくしてそこには永続する、円環構造をした、世界の解釈法ができてしまっているということ――世界を解釈するに当たって、英語という言葉でもって理解できる<真実>のみが、唯一の<真実>となってしまっているということを。そして、そのなかには、英語で理解しやすい異国趣味などというものまで入りこんでしまっているということを。

 英語に限らずどんな言語でも、それへと翻訳される内容を選ぶであろうが、その選択の幅がせまいということは、長い目で見れば英語の支配を有利にするのではなく、逆に英語を貧困にし、その支配を終らせる方向へと働くはずだ。
例えばこのブログでも取り上げた、アメリカの学者ジャレド・ダイアモンドによる『銃・病原菌・鉄』という本がある。この本は日本語に訳され、日本語でアクセスできる叡智を増加させた。
一方で、日本語で書かれた山本義隆『磁力と重力の発見』、富岡多恵子釈迢空ノート』などの本は、英語に翻訳されないかもしれない。特に後者はされないだろう。しかし、もし翻訳されることがないとしても、それは日本語にとっての打撃ではない。日本語が持つ叡智を享受する機会、日本語でならアクセスできる叡智にアクセスする機会を英語が失ったという、それだけのことである。

著者は、尾崎紅葉の『金色夜叉』が英語のダイム・ノベル(読み捨て娯楽小説)の焼き直しであることとか、芥川龍之介大佛次郎、『大菩薩峠』を書いた中里介山、谷崎純一郎が英語をよく読み、そこから多くの刺激を受けたことに触れている。これもまた多文化からの刺激、多様性こそが文化を豊かにすることの証左であろう。


しかし、多様性こそが繁栄への鍵だということを世界で一番よく理解しているのは、今のところ、たぶんアメリカ人である。
最近ある新聞に、アン=マリ・スローターという米国務省政策企画局長という職にある人のインタビューが載った。表題は「最も世界とつながった国が最強に」である。

これからの時代を特徴づけていくのは、国家が別々ながらも互いに依存し合う単なる相互依存だけでなく、相互につながっていることなのです。ネットワーク化された世界では、結果達成を可能にしてくれる官民や市民社会のアクター(行為者)とどれだけつながっているかが、パワーを左右します。この点で、米国はなお、こうしたアクターと最もつながっている、唯一の国だろうと思います。
(中略)
私が「つながっている」と言うのは、グローバルにつながっている、という意味です。国内だけでなく地球規模で、人的に多様につながっているということです。そうした多様性には、新たな考えや活力を吸収し、アイデアや製品や人々を魅力的にし、また人々を引き付けるという、とてつもない力があります。そんな結びつきは、開かれた社会でこそ起きます。

そしてこの思想を実践した例が、六月五日のル・モンドの記事(Washington à la conquête du "9-3")である。
これは、フランスのアメリカ大使館がパリの郊外などに住む「地区のエリート」や少数派民族の知識人など、将来の指導者と目される人々と次々と「渡り」をつけているという話である。その対象は、組合や教育の責任者、右や左の政治家、芸術家、若い研究者などにわたる。そして、もっとも有望視された人材には「国際ビジター」制度により、アメリカに二、三週間滞在して興味のあるテーマについて考える機会が提供される。現大統領ニコラ・サルコジフランソワ・フィヨンといった政治家も、三十歳代だったころにこの制度の恩恵を受けている。実際、これらの人々はフランス政府よりもアメリカ政府により評価されていると言える。
このように書かれた物だけではなく人そのものを取り入れ、飲み込んでしまうのがアメリカ流である。だが、それは文化の活性化のためには必要なことだ。このように外へ向けての興味が「開かれて」いるかぎり、英語は安泰だろう。英語は当分亡びそうにない。

著者の論に従うなら、フランスというもはや滅びつつある文明の、しかもパリの郊外などという「偉そうな男」が住むはずもない場所の住民など、グローバルな国際政治においてはなんの考慮にも値しない存在にすぎないはずではないか。しかしアメリカの国務省の役人たちは著者とは意見が違うようである。

著者は本著の中で、河合隼雄が座長を務めた「21世紀日本の構想」について話し合う懇談会の報告書を引いている。

 誤解を避けるために強調しておきたい。日本語はすばらしい言語である。(中略)だが、そのことをもって外国語を排斥するのは、誤ったゼロ・サム的な論法である。日本語を大事にするから外国語を学ばない、あるいは日本文化が大切だから外国文化を斥ける、というのは根本的な誤りである。日本語と日本文化を大切にしたいなら、むしろ日本人が外国語と他文化をも積極的に吸収し、それとの接触のなかで日本文化を豊かにし、同時に日本文化を国際言語にのせて輝かせるべきであろう。

 多様性こそが文化を豊かにするという、まったくアメリ国務省と同じ意見なのだが、これに対して著者は、「何だかよくわからないが、御説ごもっとも、としか言いようもない」などと、自分で引用しておきながら不思議なコメントを書いている。著者にとっては、二つの<書き言葉>を学ぶことは容易ではない、という論点だけが重要だったのかもしれないが、ここで言われているのは一人の人間が二つの<書き言葉>を学ぶべきだ、というようなことではないだろう。


 本書を読んだ上で英語の重要性を私なりにまとめてみると、現代において日本人が英語で発信することを迫られるとき、考えられる理由は三つある。
一つは、英語が経済、コンピューター、自然科学などの分野で、また一般に外国人とコミュニケートしようとするときの、事実上の世界共通語となっていること。
二つは、「洋学」をするための言葉ということ。「洋学」については著者は以下のように説明している。

 仏教学や漢学や国文学などの伝統的な学問は例外である。また、数学、物理学、科学、工学、医学などの自然科学は別である。だが、そのほかの学問はすべて西洋語と切り離せない「洋学」である。そこには知らず知らずのうちに、西洋の在り方に人類の普遍的な在り方を見いだすという、西洋中心主義が入りこんでいる。

そして三つには、市場原理である。ルネッサンス期のヨーロッパについてのくだり。

<俗語革命>――のちに<国語>を可能にした<俗語革命>は、アンダーソンによれば、需要と供給という同じ市場原理によって、その次の段階に、おこるべくしておこった。
グーテンベルク聖書」に続き、まずはさまざまな本がラテン語で出版されるようになる。ところが、ラテン語を読めるのは「広範に存在してはいても薄い層に限られて」いる。したがって、ラテン語を読む読者たちの市場はじきに飽和してしまう。新たな市場を開発するために、人びとが巷で話す<自分たちの言葉>で書かれた本が、まさに市場原理によって、出回るようになる必然性が合ったのである。

つまりこういうことだ。著者も言うように、英語は現代の<普遍語>であるだけでなく、同時にひとつの<国語>でもある。その使用人口は日本語よりも多い。もし全世界の人間の心に触れるような小説を書くことができれば、それはシンガポールでもインドでも売れ、多数の読者を獲得できる可能性がある……。
しかし英語で書くということは、英語で考え、主に英語圏の読者に対して、英語で書けることだけを書くということを意味する。

逆にいえば、日本の作家たちが堰を切ったように英語で小説を書き始めるなどということは考えにくいということである。もちろん、たまたま英語に堪能な日本人作家が英語で小説を書くことはあるかもしれない。しかしその場合、その作家は「日本語の作家」から「英語の作家」になったというだけのことである。ナボコフがロシアの作家から英語の作家になったように。基本的にそれは日本文化ともその盛衰とも関わりのないことである。リービ英雄が日本語の作家であることと、アメリカの文化やその盛衰とはなんの関わりもない。


 もちろん、著者の言うように経済や国際政治の場において英語で堂々と渡り合えるだけの人材を養成することは日本にとって重要なことではあろう。英語で日本を論じることのできる人材も必要だろう。しかし、そこではあくまで英語は道具である。日本人がみな英語でしかものを読まなくなるとか、小説も英語でしか書かなくなるとかいうことは、まったく次元の違う話ではないだろうか。
 なんというか、英語ができる人材なんて、本当にそれが必要だと日本人が思うなら、すぐにでも増えてくるはずだ。英語で日本を論じることのできる人材も同様だ。そこでは英語なんてただの道具にすぎないのだ。それよりも、そういう人材を養成することを重要と思うかどうか、とか、日本人の倫理的な立場についての考え方とか、そういう「ものの見方」こそが、日本人や日本文化にとってはるかに本質的な問題なのだ。例えば、もし日本人が自分たちに対する根も葉もない下品なデマに対する反論を不要と判断するならば、それこそが日本人の思想であり日本語に宿る<叡智>なのであって、そのことは、いかに迂遠な経路をたどるにしても必ず他の知的に貪欲な文化圏には伝わって、世界の叡智を増すのである。

 ところで、本書での議論を踏まえた著者の結論はなにか?学校教育が結局は大切だということ、そこでは少数の優れたバイリンガルを養成すると同時に、国語の授業を量、質ともにもっと充実させることが必要だということである。もっともな結論だし、提言だと思う。
 しかし、著者の考え方にはどこかフランス的なところがあるとも思う。今あるかたちの日本語をできるかぎり、そのまま保存したいという保守性を感じる。しかし言葉は生き物である。フランスのように、アカデミ・フランセーズがどのような単語を使うべきか、使うべきでないかにまで口を出すことが、国語にとってプラスに働くとは限らない。日本文学とフランス文学の現状を比較したとき、私には日本文学のそれのほうがずっとましだと思われてならない。そしてその原因は、フランスの言語、文化、思想全般にわたる硬直化、権威主義、新しいものに対する蔑視や嫌悪、西欧の理性、西欧の形而上学はすべてを思考することができる万能の思考方法であるという強硬な思い込み、などにあると思えてならない。著者は日本の現代文学に(少数を除いて)あまり価値を認めないらしいが、たとえ幼稚にみえてもそのような自由な創作の中から次の世代の新しい小説、新しい文化が生まれてくるのではないだろうか。そもそも、明治期の文学にも幼稚なものはないのか?今でも読まれている作品の中でさえも、『蒲団』とか、『金色夜叉』とか、考えようによっては幼稚であったり下劣であったりするものもあるのである。

著者は福田恆存の言葉を引く。「言葉は文化のための道具ではなく、文化そのものであり、私たちの主体そのものなのです。」しかし言葉はやはり、現実に生きている人々の気持ちや思想を表現し、運ぶための道具でもある。「私たちの主体そのもの」が変化していくとき、言葉もやはり変わらずにはいられない。規範性を第一に考えていれば言葉は硬直化し、その潜在能力が開発されつくしたとき、その言葉は死ぬ。

 認識というものはしばしば途方もなく遅れて訪れる。きっかけとなった出来事や、会話、あるいは光景などから、何日、何年――場合によっては何十年もたってから、ようやく人の心を訪れる。人には、知らないうちに植えつけられた思いこみというものがあり、それが、<真理>を見るのを阻むからである。人は思いこみによって考えるのを停止する。たとえ<真理>を垣間見る機会を与えられても、思いこみによって見えない。しかもなかなかその思いこみを捨てられない。<真理>というものは、時が熟し、その思いこみをようやく捨てることができたとき、はじめてその姿――<真理>のみがもちうる、単純で、無理も矛盾もない、美しくもあれば冷酷でもある、その姿を現すのである。そして、そのとき人は、自分がほんとうは常にその<真理>を知っていたことさえも知るのである。

 実に美しい「哲学的」な文章であるが、しかし身も蓋もない茶々を入れさせてもらえるなら、そうしてやっと姿を現したと思った<真理>というものが、これまたやっぱり知らないうちに植えつけられた思いこみであった、ということはよくあることではないのか。思いこみというものには時が経つにつれて晴れていくものもあれば、時が経つにつれてより深くなるものもある。<真理>とはやはり人と人との間、言語と言語との間、文化と文化の間にあるものだ。魚だって二つの潮がぶつかりあう場所で最もよく獲れる。その意味でも、日本の作家が必ず英語で書かねばならないという必然性は、どこにもないのである。


 最後に、著者の日本文学に対する評価にたいし、やはりどうしても一言二言いわせてほしい。

日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けておらず、いわゆる西洋の小説の長さをした作品で傑作と呼べるものの数は多くはない。だが、短編はもとより、この小説のあの部分、あの小説のこの部分、あの随筆、さらにはあの自伝と、当時の日本の<現実>が匂い立つと同時に日本語を通してのみ見える<真実>がちりばめられた文章が、きら星のごとく溢れている。

しかし、著者もその名を出している有島武郎の代表作である『或る女』は、著者にとっては果たして「小説内で自己完結した小宇宙を構築」した、「いわゆる西洋の小説の長さをした」「傑作」ではないのだろうか。これまた著者が傑作として触れている幸田文の『流れる』は「小説内で自己完結した小宇宙を構築」してはいないのか。
林芙美子の『放浪記』は自伝的小説であるが、同じ時代に書かれたやはり自伝的小説であるヘンリー・ミラーの『北回帰線』に比べてどうなのか。(長さについても、文庫本のページ数はほぼ同じである。)
さらに現代にまで比較を広げるなら、桐野夏生村上春樹大江健三郎と、スティーブン・キングポール・オースタージョン・アーヴィングを比べたとき、「日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けて」いないなどと言えるだろうか。

私が著者に感じるのは、広く評価されているものだけを追認し評価するという、権威主義的、文学全集的なものの見方である。ひょっとすると、著者の日本文学に対する見方は大正十五年に発行されたという著者お気に入りの改造社の『現代日本文学全集』に完全に規定されてしまっているのではなかろうか。林芙美子を挙げているのに『放浪記』には触れず、「『風琴と魚の町』という優れた自伝に加えていくつかの優れた短編を遺した」と書いて澄ましているのも、この『現代日本文学全集』に入っていなかったからかもしれない。著者の日本文学についての好みや基礎知識はこの大正十五年の段階で止まっているのではないかとさえ疑いたくなってくる。

さらに現代日本文学について。

 日本に帰り、日本語で小説を書きたいと思うようになってから、あるイメージがぼんやりと形をとるようになった。それは、日本に帰れば、雄々しく天をつく木が何本もそびえ立つ深い林があり、自分はその雄々しく天をつく木のどこかの根っこの方で、ひっそり小さく書いているというイメージである。福沢諭吉二葉亭四迷夏目漱石森鴎外幸田露伴谷崎潤一郎等々、偉そうな男の人たち――図抜けた頭脳と勉強量、さらに人一倍のユーモアとをもちあわせた、偉そうな男の人たちが周りにたくさんおり、自分はかれらの陰で、女子供にふさわしいつまらないことをちょこちょこと書いていればよいと思っていたのである。男女同権時代の落とし子としてはなんとも情けないイメージだが、自分には多くを望まず、男の人には多くを望んで当然だと思っていた。また、古い本ばかり読んでいたので、とっくに死んでしまった偉そうな男の人しか頭に思い浮かばなかった。日本に帰って、いざ書き始め、ふとあたりを見回せば、雄々しく天をつく木がそびえ立つような深い林はなかった。木らしきものがいくつか見えなくもないが、ほとんどは平たい光景が一面に広がっているだけであった。「荒れ果てた」などという詩的な表現はまったくふさわしくない、遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景であった。

「偉そうな男」、「雄々しく天をつく木」という表現が同じ段落の中で三回。まるで「精神分析してください」とでも言わんばかりだ。本著の一見論理的な装いとは裏腹に、その底に潜むコンプレックスが透けて見えてきそうな文章である。
結局のところ、著者の象徴体系では、明治期の文豪=偉そうな男の人たち=雄々しく天をつく木=父権=アメリカ(英語)、ということではいのか。なんのことはない、小泉純一郎はじめ、あまたの「保守」政治家にみられる、凡庸な、あまりに凡庸な、父権制アメリカ・コンプレックスの組み合わせである。