動物・バイク・戦争 〜熊を放つ〜

ジョン・アーヴィングの小説『熊を放つ』(1968年)を読みました。村上春樹による訳です。とても面白かった。

あらすじ

ウィーンの学生であるジギーとグラフは金を出し合ってオートバイを買い、旅に出る。旅先の村の旅館でジギーが酔っ払った牛乳配達人を相手にひと悶着起こし、警察沙汰になるが、グラフを残してバイクで逃げる。数日後、ジギーは頭を丸坊主にして変装して村に帰ってくるが、グラフと逃げようとしてバイクで転倒し、死んでしまう。
グラフはジギーの残したノートを読む。そこには二種類の文章がある。一つはジギーがウィーンの動物園に潜んで偵察していた数日間の記録。色々な動物と、それを虐待する悪の警備員。もう一つはジギーの自伝というか、ジギーの両親が戦争の前後に体験したことの記録。ジギーの母の最初のボーイフレンドであるツァーンのオーストリア鷲の変装によるナチス・ドイツへの滑稽な反抗や、ジギーの父ヴラトノとバイク狂のドイツ兵ヴットの友情など。この二つの文章が微妙に反響し合いながら交互に現れる。
最後に、グラフとその恋人となった旅館の娘ガレンがオートバイでウィーンへ行き、ジギーの遺志を継いで動物園の動物たちを逃がしてやる。


ユーモアの質感、会話、動物の扱い方、動物や人物の名前の扱い方、「……ね」という語尾など、色々なレベルでやはり村上春樹を連想させる。それは訳によるもののあると思うし、そうでないものもあると思う。

ジギーやグラフの物語だけだとちょっと軽すぎるところに、多くの人が失われた残酷な戦争の(時にはちょっととぼけたような)記述によって深みを与えられ、うまくバランスが取れている。

ジギーの両親の戦争前後の物語はエミール・クストリッツァの映画『アンダーグラウンド』を連想させる。映画はベオグラードが舞台だったがこっちはウィーン、そしてユーゴスラビアトリックスターが実に滑稽な方法で権力に反攻するが、権力側はまたその滑稽さとはまったくつりあわない生真面目さでもってみずからを茶化す「反攻分子」の抹殺を試みるという東欧的な状況。ナチス、チェトニク、ウスタシ(ウスタシャ)、チトー。サルトルの『自由への道』第二部『猶予』にも似ている。日常生活と進みつつある侵略、この二つが影響し合いながら交互に出てくるという点もそっくり。