過ぎ去った時間自体の美しさ 〜シン・レッド・ライン〜

テレンス・マリック監督作品(1998年)シン・レッド・ラインみました。

ガダルカナル島でのアメリカ軍と日本軍の激しい戦闘とその前後を描く。

技術的には。
ノローグ。
美しい映像。物語をとりまく圧倒的な自然。人間の営みの意味が相対化される。
昼間の撮影。よく晴れた日。物語をあっとうする好天。これもまた、人間の営みを取るに足らない、小さなもの、儚いものに見せる効果がある。

テーマ的には。
「失われた調和」というテーマはここでも健在。

テレンス・マリックの映画に共通するもう一つの点。
彼の映画では、分かりやすいオチがついたところで物語が終わる、という形を取らない。感情の高揚が去り、登場人物たち、それに映画を観ている観客たちがある突出した出来事に籠める過剰な意味が、時間と共にやがて色あせ分解して、何の変哲もない日常が復帰するところまでを描いてから、ようやく映画が終わる。終わり方だけでなく、随所随所で分かりやすい意味が形成されてしまうことを避けようとしている。ときにはそれが曖昧な感じ、何が起こったのか、何が言いたいのかがよく分からないという印象を生む。
アンチ・クライマックスを目指す散文的な映画なのかと言えばそうではない。モノローグや、いろいろな光線の下で撮られた映像たちが発する、意味ともいえないような印象そのものを大切にし、目的にしているという点で、彼の映画は散文的ではなく詩的なものなのだと思う。クライマックスのあとに続く日常のけだるい、意味が溶けてなくなっていくようなあの感じ自体を一つの印象として取り出していて、そしてそういった印象たちこそが彼の映画の真のテーマなのだ。物自体の美しさ。過ぎ去った時間自体の美しさ。そこでは物語は単なる背景でしかない。