取るに足らない死・色即是空・意味の崩壊 〜地獄の逃避行〜

テレンス・マリックの監督デビュー作品地獄の逃避行 badlands(1973年)観ました。とても面白かった。

1958年にネブラスカ州で起きた実際の事件をもとにしている。

あらすじ(ネタばれ注意!)

チャーリー・シーン演じるキットはゴミ集めの仕事をしている。彼は家の前庭でバトンの練習をしていたホリー(シシー・スペイセク)に声をかけ一緒に散歩をする。ホリーは白い顔にそばかす、赤毛の長髪、暗くおとなしい感じの表情の、宗教がかったヒッピー生活がいかにも似合いそうな女。(映画の中では15歳ということになっている。)キットは語り口が柔らかで、十分に間を取ってしゃべり、あまり強引なことも言わない。ホリーは彼に惹かれていく。
キットは仕事を真面目にせず首になる。職安で紹介された農場で働き始める。やがて二人のことがホリーの父にばれ、二人は引き離される。キットは父親(看板にペンキ絵を描く職人)の仕事場に現れて、丁寧な言葉づかいで真面目にホリーとの交際を許可してくれるよう頼むが、父親には「家に近づくな。二度とその顔を見せるな」と言われる。キットは「ご自由に」と言って素直に引き下がる。
しばらくして、キットはホリーの家に忍び込み、ホリーのタンスの中の服を勝手にトランクに詰め始める。そこにホリーと父親が帰ってくる。「何をしてるんだ?」と言われ、「ホリーとここを出ることにしました」という。父親が警察に電話すると言うと、キットは銃を出し、すまなさそうにそれをいじりながら「銃も時には役に立ちます」とか言う。父親が電話しに行くそぶりを見せると、ホリーは「撃ちますよ。こんな音がするよ」と言って足下に銃を撃つ。居間にいく父親を追いかけて、まだ電話をとってもいない父親を、撃たなくてもいいのに背中から二発撃つ。二人はどこにも連絡せず、父親は死に、その死体をキットは地下室に運び、「二人で逃げます」とかいうメッセージを吹き込んだレコードを作って、それを家の前でかけておいて家に火を放ち、車で逃げる。
二人は川のほとりの雑木林のような場所で暮らし始める。いろいろ工夫をして楽しく暮らす。が、やがて人に見つかり、賞金稼ぎがやってくる。キットは3人の賞金稼ぎたちを撃ち殺す。
キットたちは昔一緒にゴミ集めの仕事をしていた友人の所に行く。キットは片時も銃を手から離さない。友人の男が「畑でスペインの金貨が見つかった」と言い、二人を畑に案内する。二人が畑でふざけて遊んでいる隙に、友人の男は家の方へ走り出す。それに気づいたキットが(別に撃たなくてもよさそうなのに)男を背中から銃で撃つ。弾は男の腹に当たる。キットが男に追いつき、男はそのままゆっくりと歩く。キットが家のドアを開けてやり、男が入る。男はソファーに座る。キットは何もせず、ただ時間をつぶす。男も何も言わず、ただゆっくりと血を流して死んでいく。ホリーが死にかけている男の所に来て、「あの蜘蛛は飼ってるの?餌は?」とかどうでもいい話をする。そこに男の友人らしいカップルが車でやってくる。キットは二人に銃を見せて地下の貯蔵庫に閉じこめ、今度もまた撃たなくてもいいのに隙間から内部に銃を撃って逃げる。
二人は金持ちの家に押し入ってキャディラックを盗む。やがて二人は道路を避けて大平原を車で行く。サウスダコタの荒涼とした大平原で、弾を惜しんで車で牛を殺したり、草を食べたりしながら北へ行く。ホリーは罪も恐怖も感じず、「空っぽの風呂の中に座っているような」気分になる。夜、遠くの街の明かりを見たときに、キットのような男との逃避行は二度とすまいと思う。
大平原の中の採掘場?でキットはガソリンを男から奪おうとする。そこへ警察のヘリコプターが飛んでくる。キットはホリーにあのヘリコプターに乗って逃げようと言うが、ホリーはもう行きたくないと言う。キットは警官と撃ち合って一人で車で逃げる。ホリーは警官に投降する。
キットはガス・スタンドでパトカーに見つかり、車で逃げていったんパトカーを引き離すが、自分から諦めて投降する。
キットは警官にも丁寧な言葉で話しかけ、やがて仲良くなる。空港でホリーに会って話す。「たくさん殺したな。そう思えばあの金持ちは運がいい。死ななかったから。君の父を殺したのは済まなかった」二人は裁判を受け、ホリーは執行猶予つき、キットは電気椅子で死刑になった。


キットとホリーの関係が面白い。キットはホリーを最後まで貴婦人のように扱う。車のドアを開けてやり、荷物は積んでやる。ホリーもそれを当然のように思っている。
ホリーは確かにキットに誰かを殺せなどとは言わないが、しかし「殺さないで」とも言わない。目の前で父を殺されたのだから心が絶対服従のモードになってしまって反対ができなかったのだ、という説明もできるだろう。ある意味、究極の無責任状態にホリーはいる。

友人の男が死んでいくシーンもそうだけど、この映画の人が死ぬシーンがリアルなのかどうか、実際にこんな風に事が運ぶのかどうかは知らない。でも、キットの落ち着いた態度や言葉と、彼がやっていることの異常さとの組み合わせ、それがこの映画に不可思議な緊張感を与えていることは間違いない。キットに腹を撃たれ、手当も受けないままゆっくりと血を流して死んでいったあの友人はまるで、キットの振る舞いに影響されて、自分が死につつあることさえどうでもいいことのように感じつつ死んでいったかのようなのだ。そして、それらの異常な行為も木々や植物や空や月や夕焼けや荒涼とした大平原という自然の前では無化されて、さらに取るに足らないことのようにも思えてくるのだ。