教訓は東京一極集中?弱肉強食? 〜ゆれる〜

『ゆれる』みました。

田舎の道沿いにある古びたガソリンスタンド。兄・稔は父親とともにそこで働き続けている。毎日同じことの繰り返し。色あせたユニフォームを着て、客にはぺこぺこと頭を下げ、朝から晩まで働き、母親が亡くなって男所帯となった家では自分で洗濯などの家事をしなければならない。その生活の味気なさ、閉塞感。逃げ出すべきなのか、とどまるべきなのかもよく分からないような。
唯一の希望とも言えるのは同じスタンドでアルバイトとして働く智恵子だった。智恵子はむかし弟・猛の恋人で、猛に一緒に東京へ出ようと誘われたが断ったのだった。智恵子の両親は離婚して母親は別の男と再婚し、智恵子は今は一人でアパートに住んでいる。
その猛は東京で写真家として成功していたが、母の法事で田舎へと帰ってくる。そして兄弟と智恵子の三人で岩だらけの谷川に古い木の釣り橋が架かる山中へ遊びに行くのだった……。

と、これだけでも想像力がムクムクと動き出しそうなすばらしい前提きですね。それからどうなるかは映画を観ていただくこととして。

映像について一つ気になったのはその「室内っぽさ」です。兄の抱え込む閉塞感に対応しているのでしょうが、広い場所を上から目線で俯瞰するようなショットがない。視点と対象の距離が近い。実家、智恵子のアパート、東京の猛の部屋、撮影のスタジオ、暗室、拘置所の面会室、裁判所の小さな法廷など、閉めきった空間のシーンが多い。ガソリンスタンドや橋の架かる谷川など戸外のシーンでさえ、なにか暗い雲が立ちこめているようで開放感は皆無。
唯一、ラストの猛が兄を追うシーンのみが動的で、ちょっと昔のフランス映画(トリュフォーとか)みたいでした。

ただ、これでは兄・稔の恨みがどうにも解消されないのではないでしょうか?弟の心に雪崩が起きたように、兄の心でも何か大地震を起こして、映画の最後では本当に兄弟がみんな納得しながら和解できるようにすればよかったと思う。どんな風にすればそうなるのかまでは思いつきませんが。