被害者づらする暗殺者 〜ミュンヘン〜

スピルバーグ監督『ミュンヘン』みました。

!!!ネタばれ注意!!!

ミュンヘン・オリンピックのイスラエル選手11人をパレスチナ武装組織「黒い九月」が殺したテロ事件を元にした映画。イスラエル政府はメイア首相の命令下でアヴナーをリーダーとする暗殺部隊を組織して、事件に関わった「黒い九月」のメンバーたちを次々と暗殺していく。

だが暗殺が進むにつれてアブナーたちは混乱する。まず、ターゲットの妻や子供との平穏な生活や、ターゲット自身と話すと以外に気さくで礼儀正しい人間だったりすることが描かれる。また関係のない市民が暗殺の巻き添えで怪我をしたりもする。

やがてアブナーたちはフランス人のルイという情報屋からターゲットの情報を得るようになる。ロンドンにいるサラメの暗殺をしようとしたとき、他の組織から邪魔をされる。また、ホテルで仲間の一人が殺される。その犯人のオランダ女をアブナーたちは殺す。さらに仲間の二人が死ぬ。アヴナーは、かつて自分たちがやったように自分の部屋のベッドや電話器に爆弾が仕掛けられていないか心配になり、マットレスを切り裂き、電話器を分解する。そして、かつて仲間と冗談で話していた話の通りに、クローゼットの中で寝る。

やがてアヴナーたちは任務を終え、アヴナーは妻と生まれたばかりの娘と三人でニューヨークで暮らし始める。だが、車で誰かに尾行される。アヴナーはルイを疑い、さらにはモサドイスラエルの情報機関)を疑う。アヴナーはイスラエルに帰ってモサドで働くよう説得されるが、ニューヨークで生きることを選ぶ。

スピルバーグはこの映画で「反イスラエル的」と批判されたらしいが、私から見ればアメリカ流の偽善的で偏った視点からすべてが描かれている。例えば冒頭のミュンヘンオリンピック事件の描写では、イスラエル人は殺された選手も含めて個々の人間として描いているのに対し、パレスチナ人の方は集団としてしか描かれず、まるでパレスチナ人の個性などないに等しいと言わんばかり。『ブラックホーク・ダウン』の中のソマリア民兵と同じ、あの十把一絡げの扱い方である。イスラエル人は文明人であり、パレスチナ人は集団で思考するわけの分からない野蛮人という、アメリカ的な切り分け方。

映画の最後で、アヴナーがミュンヘンで殺されたイスラエル選手たちのことを想起しながらセックスをするシーンはとても不自然だった。イスラエル寄りにバランスを取ろうとする意図さえ感じた。アヴナーがもし何かを思い悩むとするなら、それは自分たちが殺した人間のことじゃないと変だろう。自分たちが殺し殺されした相手の事ではなく、どうして見も知りもしない選手たちのことを夢に見るのか。

また、アヴナーは最後にはいろいろ悩んでイスラエルをある意味で捨てもするのだが、その悩みが中途半端で偽善的。最初のうちは、うまくターゲットを殺せたあとにはみんなでワインを飲んだりする。そんな風によく考えもせず人を調子よく殺していって、結局、自分の身に危険が及ぶようになって初めて真剣に考え始めて悩む。それが何かの言い訳になるかのように。アメリカ流偽善の典型。

暗殺がたんなる報復ではなく、本当に必要だからやっているというのなら、「イヤな仕事だが必要だからやる」という姿勢をもっとしっかりと保つべきだし、たとえ相手が国家の敵であっても、人間を一人殺したら、そのたびに人間の愚かさを悲しみ、同時にその殺人が自分たちにも敵たちにも最終的には何かよい結果をもたらすことを祈るぐらいのことはすべきだし、それができないなら殺人なんて初めからすべきではないのだ。そんな自分への厳しさ、自分への疑いも持たずに、文明人の顔をしながら実はバカみたいな短絡的な理由で野蛮な殺人を繰り返して、そのあとまともな生活が送れるはずもない。

まあアヴナーはこの後も自分を騙し続け、汚い仕事の責任をルイやモサドイスラエル政府に転嫁し続け、自分は悪くないと言えるための証拠を探し続け、良心の呵責と暗殺者の影にびくびくし続け、悪夢を見ながら暮らしていくのだろう。ハンサムで善良そうな顔つきをしているのでつい騙されてしまうが、このアヴナーというやつは結構な食わせ者だ。PLOの標的になって逆に暗殺されるのがちょうどいい。それ以外の死に様を望むなんざ、虫が良すぎるってもんだ。

アヴナーの母親の方がまだ自分に正直だ。彼女は言う。第二次大戦では自分たちの親族が大勢殺された。イスラエルにたどり着いたときには「子供が欲しい」と初めて神に祈った。子供を得たときには亡くなった親族全員が喜んでいると思った。おまえ(アヴナー)がやったことは、たとえそれがどんなに野蛮なことであっても、家族や娘のためになることなのだ。我々が自分の力で得たこの土地を維持するためには必要なことなのだ。

つまり彼女は、我々は力ずくで土地を奪い、力ずくでそれを維持して自分たちの親族を生み増やしていく、と言っているのだ。それが本当だし、彼女は正直だ。彼女なら敵を殺すのにアヴナーのような偽善的な理由付けはいらないし、また、自分がもしパレスチナ人に殺されても文句は言わないだろう。

また、「家族のために」という理由があればどんな野蛮なこともできる人間なら、自分のしたことのために家族が危害にあっても文句は言えまい。なぜなら、自分と家族は殺し、殺されるという事に関しては一体だと認めているのだから。この点でもアヴナーは欺瞞的だし、虫が良すぎる。


フランス人のルイという情報屋とその父親が印象深かった。妙にリアルさを感じたが、実際にこんなフランス人がいるのだろうか。また、ドイツ人やイギリス人ではなくて、どうしてフランス人なのか。

ルイのことを考えると、結局情報がすべてに勝ると思えてくる。情報を持つ者は、何かしたいときにはしかるべき情報をしかるべき人間に流してやるだけでいい。ルイであれば、憎み合う人間同士に互いの情報を流して出会わせて、殺し合わせて両方を「削除」することだってできる。実際、映画の中でそれを実行に移したことが示唆されているように。ひょっとするとこの映画の中ではルイが人類の平和に一番貢献しているのかもしれない。

また、もし情報がすべてに勝るのだとすると、武器やアヴナーのような暗殺者に金を使うことは実にばかばかしいことだ。すべての金は情報を得るためにつぎ込むべきだろう。決して発見されず、遠い場所からコントロールして望む場所に設置することができる盗聴器の開発に、戦闘機や戦車の開発よりも金をかけるべきなのだ。