妄想を核にして真相が見えてくる 〜残虐記〜

桐野夏生『残虐記』読みました。

いや〜あいかわらず読ませます。どんどん先を読みたくなる。そして読んでいると脳内物質が分泌される。我を忘れ、文体のことなどもすっかり忘れて物語にどっぷり入れ込んでしまう。おそろしや。

!!!以下、ネタばれ注意!!!

一人の少女が鉄工所の二階に監禁される。一年後、少女は工場の社長夫婦に助け出される。

少女は監禁されていたときのことを誰にも語ろうとしない。語っても信じてもらえないから。周りは勝手な憶測をし、少女の母親は被害妄想的になり、少女の家庭は崩壊する。

少女は逆に、自分も知らない事件の真相を夢の中に紡ぐことで生き延びる。あのケンジの部屋の押入にあった赤いランドセル。真新しい教科書と、そこに書かれた「おおたみちこ」という名前。鉄工所の庭に埋められて発見された十八歳ぐらいの女性の死体。そして、耳が聞こえず、ケンジに対しては暴君としてふるまうおなじ工場で働くヤタベ。そのヤタベの部屋の押入の壁にあった、ケンジの部屋へののぞき穴。妄想の肥料となる材料はたくさんある。

しかもそれがただ妄想として終わるのではなく、その妄想を核にして事件の真相がだんだんと現れてくる。その過程がとてもスリリングで、この小説のミステリーとしての仕掛けとなっている。

少女は夢を紡ぎ続け、やがて高校生のときに小説を発表する。そして大人になり、監禁事件を担当した元検事の男と結婚する。そして刑務所を出たケンジからの手紙を受け取り、「残虐記」というフィクションともノンフィクションともつかない文章を書いたあと、失踪する。

これらの出来事がいくつかの手紙や小説の下書きという形で提示され、ドラマチイクな順番で明らかにされていく。無駄な部分がどこにもない、はっきりとした焦点を持つ小説。


さてここで、今まで桐野夏生の作品を何冊か読んできて気になった特徴を上げてみます。

  • 夢想の中に真実が紛れる

『柔らかな頬』でも、事件の「真相」は夢想や妄想という形でいくつも提示されて、そのうちのどれが真実なのかは最後まで分からない。この作品でも同じで、小説家でもあるこの女性が「残虐記」の中にいったいどこまで真実を書いたのかは分からない。実際、彼女の夫は「残虐記」の中のいくつかの記述についてフィクションだと考えている。

  • 解放される女主人公

それから、主人公の女性が小説の最後で「自由になる」こと。『OUT』でも『柔らかな頬』でも、主人公はすべてが終わって一区切りつき、一人でまた人生を始めることを、一つの解放と捉えている。この『残虐記』でも主人公は夫を捨てて失踪してしまうのだ。そして特徴的なのは、それが世をはかなんだ、自閉へと、収斂へと、自殺へと向かうような失踪ではなく、すべてを振り捨てることからエネルギーを得て新たな人生を始めるための、「躍動に満ちた」失踪である点。

桐野作品を読んでいると、巷にあふれる凡下の小説を読んだときにそのつっこみどころの多さに愕然とし、ようやく桐野のすごさに思いが至る。桐野作品はもっともっと読まれていいと思う。