桐野夏生の『夜の果てへの旅』 〜柔らかな頬〜

桐野夏生『柔らかな頬』読みました。すごい!『OUT』もよかったけど、こっちの方がぶっとんでる!

北海道の家族の元を飛び出し東京へ出てきたカスミ。やがて製版会社で働きだした彼女は社長の森脇と結婚するが、会社の客である広告代理店の石山と浮気をする。石山が北海道に買った別荘にカスミたちは家族四人で訪れ、そこでカスミと石山は互いの配偶者を欺いて密会するが、五歳の長女である有香が忽然と姿を消してしまう。
この事件がカスミをはじめ、関係する人々の人生を大きく変えていく。カスミは有香の捜索を続け、やがて漂流を始める。カスミは夫も次女も捨てて北海道へと向かい、ガンで余命少ない元刑事の内海と娘を探す旅に出る。


小説の最後が近づいてきても犯人は分からない。その代わり、内海やカスミは夢を見る。それらの夢の中では、別荘の管理人の和泉が有香を殺したり、あるいはカスミの両親が森脇と結託して有香をさらったりする。内海とカスミはどんどんと地の果てへと突き進んで行き、最後にカスミの実家を尋ねる。実家はすでにない。しかしカスミの母親は再婚し、スナックをやっている。貧乏だが楽しい生活。内海はその店の二階で死ぬ。死の間際に、内海は事件の真実を語る別の夢を見る。

カスミが事件をきっかけに何もかも捨てて、どんどん寂しい方へ、何もない方へ、地の果てへと向かっていくその過程がとても寒々しく、哀しく、せつない。結局最後までカスミは真実を突き止めることはない。人は人生の盛りを過ぎると、あとは寂しさや哀しさだけがつもり重なっていって、複雑に色づいていた世界はどんどんと単純に色あせてゆき、記憶や意識さえも薄れていく。そして、やがて死が訪れる。そんな人の一生をこの小説は残酷なほどにリアルに描いている。

イエスの方舟」の千石剛賢のような人物が登場したり、母と娘の関係が二重写しにされていたりするが、それはこの小説の中に無数に描かれてある「人生の細部」の一つにすぎない。私はこの小説の最後にかけての、カスミと内海の旅にものすごく心を動かされた。この、人生が希薄になっていくような、どんづまりに向けて突き進んでいくような感じ。まさにロマン(長編小説)の醍醐味、ロマンの力。

この小説は桐野夏生の『夜の果てへの旅』だ。セリーヌのあの小説の最後で、セーヌ川を行く船の汽笛が橋を越え、アーチをくぐり、遠くへと消えていく、あの最後の文章を読んだときに読者が感じるのと同じ思いを、この小説は味わわせてくれる。「探偵小説」や「ミステリー」としてではなく、「ロマン」として傑作だと思う。