石油にまみれたゴッド・ファーザー 〜ゼア・ウィル・ビー・ブラッド〜

ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』をみました。

19世紀の終わり、金を求めてたった一人で深い穴の底でつるはしをふるい、硬い岩を掘り進む男の映像から映画は始まる。その穴からはやがて石油が出て、櫓が組まれる。石油でもうけたその男ダニエル・プレインヴューが、さらに別の土地で石油が出ることを知り、その土地を安値でうまく買い占め、海までのパイプラインをひいて、石油王となる物語。石油掘りの映画といえば『ジャイアンツ』があるが、あのような人間的な潤いはこの映画にはない。乾ききった砂漠とねっとりと黒い石油、そして計略を巡らし互いに憎み会う男たちの狂気の物語。女性による科白はほとんど(まったく?)ない。

ダニエルは演説もうまく、実行力があり知恵が回る。しかし自分でも言うとおり他の人間を好きになったことがなく、金持ちになったらすべての人間からできるだけ遠く離れて暮らしたいと思っている。そのうえ彼は競争心が強く、他人の成功を憎む。弟を詐称した男を、そうと知った瞬間に撃ち殺すような残忍なところもある。

一方で、一緒に石油(金?)を掘っていて事故で死んでしまった男の子供を自分の子供として育てたりもする。この子供はその後石油の採掘現場で事故に遭い、聴覚を失う。それをきっかけにダニエルとの間がうまくいかなくなり、いったんはダニエルに捨てられるが、その後再び呼び戻される。

また、最初に土地を買った家の次男は「第三の啓示教会」の牧師をしている。この次男による胡散臭い悪魔払いの儀式も一つの見所になっている。彼はその土地一帯に信徒を持っていて、ダニエルは大手石油会社による買収を逃れて海まで自前のパイプラインを通すために、その教会への入信を迫られる。ダニエルは「悪魔よ去れ!」と芝居気たっぷりに叫ぶ次男に頬を何度もぶたれながら懺悔をする。しかしパイプラインが通るとダニエルはころりと態度を変えて、金の催促に来た神父を石油の泥の中にねじ伏せ、教会へ約束した五千ドルも払わない。

ダニエルが石油の櫓の近くの掘っ建て小屋に住んでパイプラインの敷設に成功するまでの長い物語のあと、映画の終わり5分の1ぐらいで、ダニエルがすでに金持ちになり、大きな屋敷に住んで飲んだくれている時代にまで時が跳ぶ。耳の聞こえない息子は成人して結婚し、独立して会社を起こしたいというのを聞いて、ダニエルはひどい悪態をつく。そして最後に、「第三の啓示教会」の牧師がまた現れて商談を持ちかける。この窮地に立たされた神父をダニエルはとことんいじめ、悪態をつき、家の中に設置されたボーリングのレーンの上を追いかけてボーリングのピンで、まるでゴキブリを丸めた新聞で潰すみたいにして殴り殺す。

アンダーソン監督らしい特徴のある音楽が秀逸。あるときは乾ききった砂漠にとめどなく広がる男たちの夢と狂気を暗示し、またあるときは、あの『ダーティー・ハリー』で突然スピードを上げてブンブンうなり出すベースのような、高揚と焦燥と不安が互いにせめぎ合いながら張りつめていくような効果を上げる。

あと、クリアでありながら白っぽく色あせたような映像が特徴的。逆光を恐れず画面に収められる眩しく輝く太陽、それをとりまく深く青い空というアンダーソン監督らしい構図が、油田を取り巻く半砂漠の白っぽい砂とよくマッチしている。

一つ難を言えば、映画の終わりにかけてのバランスがいまいち良くない印象を受けた。また、パイプラインの敷設に成功してから大屋敷に住むようになるまでの間がすっぽりと抜けているので、大屋敷で暮らすダニエルがちょっと嘘臭く、芝居がかって見えてしまうような気がした。