軍歌からゴーゴリへ 〜挟み撃ち〜

後藤明生の小説『挟み撃ち』読みました。

小説家であるらしい「わたし」は、ある日とつぜん早起きをして、遠い昔にいつのまにか行方不明となってしまった外套を探し求める。

九州筑前の田舎町から出てきて受験に失敗し、浪人をしながら初めて下宿をした蕨。蕨駅から旧中山道への一本道はすっかり様子が変わっている。大家の石田家のおばさん、そしてその息子の嫁。古賀兄弟の記憶。古賀弟の空手と、それに対する古賀兄の、「バカらしか、ち!」という言葉。中村質店。映画館の三本立ての時刻表の下に置いてある旧式の「眼覚時計」。そこから、古賀弟が紹介してくれた映画館での二等兵のアルバイトへと、そしてさらに、九州筑前の田舎町へと引揚げて来る前の北朝鮮での生活へと記憶がさかのぼる。永興小学校(入学の翌年には国民学校に変わる)、元山中学、参戦したソ連の初空襲、そして終戦。『歩兵の本領』などの歌の歌詞がとつぜん労働歌や、さらには朝鮮語の歌詞に変わる。家の裏庭に穴を掘り、レコードを聴きながら燃やす。父の指揮刀、帽子の記章など、それまでの秩序を象徴するものすべてが燃やされる。背嚢、教科書、雑誌の束。『少年倶楽部』、『陸軍』。レコードは百枚くらい。五割は軍歌で、残りは童謡、唱歌類、『国境の町』『赤城の子守歌』『ゴンドラの唄』などの流行歌、虎造の浪曲盤。繰り返しかけてその歌詞を暗唱した数々の軍歌。そして、住んでいた家が朝鮮人民保安隊員によって接収される。とつぜんの変化の連続。

 それは、お前、決してとつぜんではなくて当然だよ。お前はまだあのとき元山中学一年の餓鬼だった。そのお前に、当然のことがとつぜんだと考えられたのは、まったく当然過ぎるくらい当然のことではないかね。しかしお前、だからといっていつまでも餓鬼のふりをして生きていくわけにはゆかんよ。お前、年は幾つになったのかね?少なくとも、そろそろ年のことを考えても悪くはない年だろう。とつぜん、とつぜんを濫発しておどろいたような顔をしていられる年じゃあないのではないかね。そんな顔で、大人は欺されんよ。
 これは誰の声だろうか?兄の声?あるいは母だろうか?それとも、誰か見知らぬ他人だろうか?

上野へ。蕨にも訪ねてきたことがある旧友の久家と会う。久家におそわった二つのこと、ヨウコさんと将棋。亀戸三丁目へ。女郎買いの思い出。
再び中村質店へ。おばさんとの会話。外套の記憶。

精神や意味や象徴で充満していた戦前に子供時代をすごした「わたし」は、その失われた世界(外套)を忘れられない。

しかしわたしは、一方においては駐留軍のウオッチマンである兄から、こういわれた人間だった。
「お前は、子供のときから兵隊になりたがりよったとやけん、よかやないか」
 また、こうもいわれた人間だった。
「あのときお前が取ったとは、おもちゃの剣ばい」

だが、そんな「わたし」がいま生きているのは、万博や、マンモス団地や、建設ラッシュでダンプカー行き交う国道の砂ぼこりに象徴される、経済的な繁栄を謳歌する(がその中身は空っぽの、とは決してこの著者は書かないが)高度経済成長期の「民主主義」国日本だった。

外套は結局見つからない。物語らしい物語のかわりに小さな出来事の積み重ねがあり、読者はそれを順番にたぐることによって「わたし」の人生を体験する。結論もなく、教訓もない、ただ「生きる」としか言えないような読書体験。