いなか、の、じけん(中国編) 〜中国低層訪談録〜

『中国低層訪談録』という本がすごいらしいので、書評から孫引きします。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/42/index.html


この本は、詩人である著者の廖亦武が中国の「どん底の世界」に入り込み、インタビューをした内容をまとめたもの。

日本で「詩人」というと谷川俊太郎のような人を思い浮かべてしまいがちですが、この詩人はむしろロシアの朝鮮系詩人ヴィクトル・ツォイ(1990年8月15日死去。享年28歳)とか、あるいは日本の尾崎豊(1992年4月25日死去。享年26歳)のような、言葉や歌などの中間物によってではなく(あるいはそれだけではなく)、自分の生き様そのものによって(も)表現をする人のことだと思います。(いまの日本だと誰?ホリエモン?)

著者の廖亦武(本書では老威というペンネームを使ってインタビューを行っている)は詩人。1989年の天安門事件で事件を扱った長編詩を発表したために、反革命煽動罪に問われて4年間投獄された。その後、簫(笛の一種)を吹き自作の詩を吟じる大道芸人になり、四川省を中心に中国各地を巡り、同時に最底辺の人々の間に入り込んで、本書のような中国庶民の実態をまとめた本を次々に出版している。

本書にはどうも強烈な話が満載のようです。例えばこんな話。

張志恩は貧しい農民だった。若いときに原因不明・病名不明の病気になる。全身がかゆくなる病気だったが、村人はそれがハンセン病であると決めつけ、恐れ、張をハンセン病専門の病院に放り込んでしまう。別にハンセン病にかかっていたわけでもない彼は、退院が許されることもなく、ハンセン病専門の病院で何年も炊事の仕事を担当していた。

やがて「いつまでも病院にハンセン病でない者を置いておくわけにいかない」と、退院になった彼は故郷に戻るが、すでに自分が耕すべき田畑はなくなっていた。ハンセン病の病院帰りということでひどい差別を受けた。彼は彼同様にハンセン病と誤診され、強制的に入院させられていた女性と結婚し、彼女の持っていた田畑を耕して暮らすようになる。

その後、妻がまた病気になる。ハンセン病の症状ではなかった。しかし村人はハンセン病をまた発病したと誤解し、恐れ、ついには病気に苦しむ彼の妻を生きたまま焼き殺してしまったのだ。

“無実”の女性を焼き殺すことを、誰もが、村を守る正義の行為と思い込んでいる。もちろん公権力も介入しない。それどころか、張志恩は妻を焼き殺されたにもかかわらず、通常の葬儀のように村人に対して食事を振る舞わねばならなかった。

張志恩: (前略)村長が村人を連れて、おらの家に来て、飼っていたブタを殺した。梁にかけていたベーコンも取られた。まだ、女房を焼いたところから煙が出ているうちに、数十メートルしか離れていねえところで、土のかまどを二つ作って、大きな鍋をかけて、一つでは肉を煮て、もう一つではめしを炊いた。空がまだ暗くなっていないうちから松明をつけて、みんなどんぶりを持って、鍋のまわりに集まった。
老威: 村全体で、どれぐらいいましたか。
張志恩: 三十数世帯いて、一世帯から働き盛りの男一人が食べに来た。

(中略)

しかし村人は依然として、ハンセン病を、大蠱龍という毒蛇ののろいであると信じている。張本人も例外ではない。

張志恩: 女房が死んだあと、あいつが縫い上げた新しい布団を捨てるのが惜しくて、ついそのままずっと使ってただ。思いもかけなかったけんど、ある夜、おらは悪夢を見ただ。茶碗ぐらい太え毒ヘビが強く巻きついて、息ができなく、ナタで切ろうといても、腕が痛くて切れなかっただ。(中略)夜が明けると、布団を引っぱりだして、畑の横で燃やしちまった。どうなったと思う? 布団から、なんと、油がしみだしてきて、肉が焦げる臭いもしたもんだ!(中略)
老威: 大蠱龍を焼き殺したのですか?
張志恩: 邪悪なまじないをかけられた布団を焼いただ。(本書 p.64)

表面だけはどんどんモダンに変化しながら、底辺や農村は昔のままという、日本で言えば大正から昭和初期にかけてのあのどろどろとした、夢野久作的な時代を思わせます。

引用した話の他にも冤罪による拷問とか、地元の汚職を告発したら完全武装公安警察武装警官隊が村に突撃してきた話など、なかなかすてきな「いなか、の、じけん」が満載です。

個人的には、この混沌の中からどんな文学が出現するのか、とても楽しみ。中国におけるエロ・グロの一層の発展をひとまず期待しておきます。

元の本も読みたいけど、ちょっと高いなあ。