死相ただよう恋人たち 〜ドニー・ダーコ〜

『ドニー・ダーコ』みました。2001年、リチャード・ケリー監督。

本編を観たあと特典映像の中の予告編を見ると、パラレル世界、時間の反転などということが宣伝文句になっていて、そういえばこの映画はSFでもあるのだと思い至った。でも私にとってはSFの部分はどうでもよかった。映画全体にただよう雰囲気、そして登場人物の心理がなによりも魅力的だったので。

見ようによってはSFでもあり、サイコ・スリラーでもサイコ・サスペンスでも心理ドラマでもあるこの映画の基調となるトーンは、決して恐怖ではない。それは静けさだ。クリストファー・ウォーケン主演の『デッドゾーン』という映画を私は思い出した。あの映画は真冬の、寂しく静かなアメリカの町が舞台だった。この映画は季節はハロウィーンのころ、色彩にあふれる、やはりアメリカの中流家庭が住む豊かな町が舞台。この町に住む少年ドニー・ダーコは、むかし空き屋に火をつけたことがあり、心理カウンセラーの所に通っている。そのドニーの前にウサギの着ぐるみの男が現れる。銀色の、どこかダースベーダーっぽい、しかし顔面は肉が腐って落ちて骨が露出したようなウサギの仮面。自分の中から聞こえてくるようなその声。そしてドニーを捉えるのは恐怖ではなく死の静けさ。ウサギはドニーに世界の終わりまでに残された時間を告げる。

ドニーを演じるジェイク・ジレンホールの演技がすばらしい。パーカーのフードを深くかぶった彼は、スターウォーズの悪のフォースに魅入られたジェダイのよう。そしてその表情。魂を抜き取られたような、射精のあとのような死相ただようその顔は、ゴッホが描いたゴーギャンにも似ている。

ハロウィーンのパーティーのさなかに恋人のグレッチェンと並んで階段を上っていく彼らは、とてもこれから初エッチをしにいくティーンエイジャーとは思えない。はしゃいでいるのでも、照れているのでも、期待と不安で心が波立っているのでも、心臓がばくばくしているのでもない。その表情は暗く静かで、まるで死人のように、幽霊のように落ち着いているのだ。どこか夢遊病者のようでもある。そして初めてのセックスを終えて階段を下りてくるときの彼らは、さらに静かに満ち足り落ち着いて、死の上に死を重ねてきたような顔をしている。

この映画は、現実からの乖離の感覚をよく表現していると思う。光あふれる日常の光景、暗いホールで妖しくきらめくシャンデリア。トランポリンで遊ぶ二人の子供、学芸会での小さな女の子たちのダンスの映像が、急にスローになる*1瞬間に、我々はそれらすべてを暗い虚無の中の一点から眺めているような気がしてくる。それらの色の氾濫が、まさに色即是空、まったくの無から一時的に分化しているだけの幻影のような印象を持ってしまう。

映画の中の女性教師が言うような「恐怖」にとらわれるという問題ではなく、静けさ、死にとらわれるという問題。普段とまったく同じ相貌を備える現実の背後に、それこそパラレルに別の世界があるような感覚。そのような感覚が映画の中ではあまりにも強烈で、常に画面上に緊張を生んでいるので、特殊効果とか、現象の科学的なつじつま合わせなどどうでもよくなってしまうのだ。

*1:コーエン兄弟の『バーバー』や『バートン・フィンク』でも、このテクニックが同じような「乖離」の印象を生み出していた