没理想の現実を生きるプラスチックなソウル 〜無情の世界〜

阿部和重『無情の世界』読みました。三つの小説からなる作品集です。

トライアングルズ

他人の幸せのことばかりを考えてばかりいるが同時に、どうしようもなく一人よがりでパラノイアックな「先生」。青春学園ドラマの熱血教師のような意欲の空回り。「私」の家族全員を幸福にしようとするが失敗し、最後、ナイフで片目をくりぬく。

プラトンやエディプス王のパロディなど、ギリシャ古典への参照がちらほら。登場人物のせりふに「!」が多用されているところが大江健三郎を思わせる。


無情の世界

いじめられっこの高校生である「僕」。辛い現実を生きる若者はえてして思考の中の世界だけでも美しいものに憧れるものだが、この「僕」はどこまでも現実的、衝動的なゲス野郎。

「僕」は中学生がしゃがんで公園で花火をしているところを見て、倒れた警官を取り囲んでいると早合点し、おしっこをもらす。家に帰ってエッチなサイトを見て、性欲に駆られて公園へ戻ると、ベンチに全裸の女が座っているのを発見して、自慰をする。だがよく見ると、女は手を麻縄でくくられて死んでいる。夜明けに家に帰ると、ひさしぶりに得体の知れない父が帰ってきている。次の日、テレビで女のニュースをやっており、自分が容疑者になっていることを知る。庭では父が麻縄などを燃やしている。


鏖(みなごろし)

ゲスで、衝動的で、没倫理的で、粗野で、暴力的なオオタタツユキ。バイト先での盗みがばれてオーナーや店長、オーナーがやとったやくざに追いかけられる。クサ、不倫相手の女。盗んだ時計をもってくるはずの女をファミレスで待っていると、妻に不倫された知らない男と出会う。男は携帯テレビで自分の家に仕組まれた隠しカメラの映像を見ている。男はオオタとの会話の後、家に戻って妻とその不倫相手を金属パイプで殴り殺し、ファミレスに戻ってくる。するとそこではオオタが店長とやくざたちに捕まっている。男はやくざたちを金属パイプで殴り殺す。オオタは店を脱出し、女をなぐるために通りすがりの中学生から金属パットを奪おうとして、逆に殴られる。

最後、オオタがかつて公園でけりを入れた男が再登場。オオタと本質において何も変わらないと思われるこの男が、さらなる害を周囲の人間に及ぼそうと計画を練っているところで小説は終わる。

この小説でもやはり、特権化されるものは何もない。モラルなし。教訓なし。天罰なし。そのかわり、上から目線の裁きも断罪もない。

この小説は、大量の人間がバタバタと死んでいくのをコミカルに描く、あの一連のアメリカ映画にも似ている。

この、行き当たりばったりで、どうしようもなく現実的で、夢というものを見ないオオタタツユキという人間が、いま現実に世界で起きていることの隠喩のようにも思えてくる。