金持ちだって悩む! 〜天才マックスの世界〜

映画『天才マックスの世界』みました。

以下、ネガティブな感情の炸裂による悪電波が発生するので注意!

苦手。ウェス・アンダーソンは私は苦手。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』もそうだった。カラフルで豊かな町並み。立派な屋敷。きれいな女。白い肌に、かわいらしくも整った顔立ちのラシュモア(金持ちの子弟が通う私立学校)の下級生たち。そこで散髪屋の息子である少年と、工場主の金持ちが、ハーバード卒の美女教師に同時に恋をする。そして対等に悩む。子供っぽい意地悪をし合う。しかしどちらも女とうまくいかなくなり、三者ともがそれぞれに悲哀を感じ、結局二人は仲直り。女とも仲直り。めでたしめでたし。

私はこの映画に『となりのトトロ』と同じものを感じた。閉じた、ある種の理想的小世界で、登場人物たちが適度に困難に遭遇し、それを乗り越え、そして最後はハッピーエンド。おばあさんはあくまでも人がよく、適度に耄碌。妹はあくまでも子供っぽく、失敗したり、泣いたり。どいつもこいつも類型的な人物たちがありえない理想の小世界で楽しく暮らす話。

今回の『天才マックスの世界』は金持ちアメリカ白人の理想郷だ。ケンブリッジのような豊かな、そして閉じた小世界で繰り広げられるおとぎ話。表面的な属性にだまされてはいけない。たとえ散髪屋の息子だろうと、彼もあちら側の、恵まれた人々の一員なのだ。そうでなければ、どうして学校にも行かず、父の経営する散髪屋を手伝うだけで、ダイナマイトを何発も使うような金のかかった芝居(それもベトナム戦争の!)を上演するという機会が得られるのか。

そのダイナマイトを買う金、君らの豊かさの資本は、いったいどこからきたものなのかね?

この映画には黒人は出てこない。いや一人いたか。ラシュモアの庭師で、主人公のマックスが「さよなら、また明日!」とか行儀よく声をかける相手として、その一瞬だけ登場。まるで「我々は黒人とも仲良く暮らしていますよ」と言うためだけのようなわざとらしさ。アングロ・サクソン風偽善的セットアップにおいてはよく見かけるタイプの人物だ。

そしてそれ以外の有色人種というと、あのアジア系の女の子だけ。それなりに頭が良く、それなりに個性的でもあり、なにより従順に白人社会にとけ込んでいて、異議申し立てをしたり反旗を翻したりする心配がない。

誰にでも優しげな風な顔をしながら、その小世界を支えているのは遠く離れた場所で行使される暴力と搾取であるという意味で、偽善の上にしか成立しない世界。さらにその表面的な「美しさ」に惹かれて、外の人間たちまでもがそれを賛美し、支持し、その決定的な欠点でさえ許してしまうという、英雄賛美の構図がそこにある。


ひょっとすると私は美しい物が憎いのかもしれない。金閣寺でも燃やすか。帝政ロシアに生まれていたら、皇帝に爆弾を投げつける手合いであった可能性は我ながら十分あると思う。