韓国の快進撃と日本の鎖国、築庭国家、それに『しわあせ』について

テレビも新聞もオリンピック一色の今日この頃だが、かく言う私もちらほらテレビで普段はまったく目にしない競技を眺めて楽しんでいる。

特に思い入れのある競技もないので、たまたまテレビをつけたときにやっている試合を見るだけなのだが、そのなかで、とくに開会式から間もない頃にその試合を見て、印象に残っている二人の選手がいる。

開会式の翌日の9日、チェ・ミンホ(崔敏浩)は柔道・男子60キロ級で勝ち進み、決勝ではオーストリアのパイシャーを一本勝ちで破って金メダルを手にした。チェ選手は初戦の不戦勝以外はすべて一本勝ちによって勝利したのだった。素人目に見ても実に素早い選手で、勝敗がはっきりしているだけでなく、見ているこちらがスカッとするような気持ちのいい試合をする選手だった。

翌10日、競泳男子400メートル自由形でパク・テファン(朴泰桓)が金メダルを獲得した。

この二人が金メダルをとったときの映像を私はたまたまテレビで見ていた。二人はまったく別のタイプの人間だ。チェ選手はおとなしくて実直そうな人に見えたし、パク選手はさわやかな「イケメン」タイプに見えた。だがどちらの選手も笑顔が実にいいのだ。韓国人って、こんな顔をしていたんだっけ?そんなことを思わせるすばらしい笑顔だった。

我々が中国にかまけている間に、お隣の韓国は快進撃を続けている。以下は現時点での国別獲得メダル数トップ10と、メダル合計の人口比である。

国・地域金メダル銀メダル銅メダルメダル合計人口(百万人)人口当たりメダル数
中国4717269013280.068
米国3136361033060.37
英国18131344610.72
ロシア171823581420.41
ドイツ1591337830.45
豪州12141642212
韓国1110728480.58
日本9610251280.20
イタリア781025590.42
オランダ75416161

オリンピックのメダルの数はその国の国力を表しているという説がある。まあ仮にその説を言葉通りに信じてみるとすると、日本の国力はすでに韓国に抜かれ、人口比で言えば韓国の三分の一ほどということになる。
(もっともこんな統計もあり、日本人は以前から先進国の中でも飛び抜けて、自分でスポーツをやることには関心の低い人々なのかもしれない。)


話は変わるが、18日の朝日新聞「韓国60年 雁行形態アジア観の終焉」という題の深川由起子氏による論説がのっていた。

一言でまとまると、グローバル化への対応において韓国は日本を抜きつつあるというのだ。韓国がインターネットの高速化で世界のトップクラスを行くという話は有名だが、それだけではない。電子政府、国際空港の戦略的な整備、サムスン電子のブランド評価、野心的なFTA交渉などにおいて、韓国はすでに日本の先を行っている。

もっとも、氏は「相変わらず強硬な労組や、感情論に流されがちな市民団体」などの弱点を指摘してもいる。韓国人が時に感情に走りやすいという指摘については、韓国人自身からもこんな批判(朝鮮日報「独り善がりな『コリアン・スタイル』」)があるくらいだから、やはりある程度の真実があるのだろう。

しかし話を元に戻すと、シンガポールは昨年、一人当たりの国民所得で日本を抜いた。韓国がここ5年間のように4〜5%の成長を維持し、他方で日本が内向きのままであり続けるなら、やがて韓国にも抜かれるかもしれない、と氏は書いている。

◇ ◇ ◇

私はいつか韓国がいろいろな経済指標において日本を抜くことになるだろうと思う。というのも、べつに卑下するつもりも開き直るつもりもさらさらないのだが、上のような話を聞かされた後でも、私は日本がこれからグローバリズムにもっと本腰を入れて対応すべきであるとはちっとも思えないからだ。高度成長時代にGNPとやらを追い求めたように、いまさらまたGDPを追い求めるのは、まるで自分の父の世代がやってきたことをバカの一つ覚えのように繰り返すようで気が進まないという人は、少なくとも私と同じ世代には少なくないのではなかろうか。

すでに言われていることだが、日本はこれからある程度鎖国「的」な状況に向かうのかもしれない。というのも、私のような凡人が現に今、鎖国的心境にある、ということは、この心境は少なくとも私の世代にはかなり広く共有されているものと思われるからだ。

もちろん、鎖国的とは言っても物資の貿易は今まで通り増えていくだろうし(それとも金かなくて買えなくなる?)、情報、文化の交流もこれまで通り、どんどん増えていくだろう。

「は?それのどこが鎖国なの?」と言われそうだが、つまり外国をなにか倫理的にも知的にも卓越したもの、親か教師のように見るのではなく、単なる道具、自分たちの環境をよりよくしていくための手段として見る傾向が、ますます強まっていくのではないかということだ。はっきりと言葉にされる機会は少ないながら、多くの日本人がグローバリズムに対して感じる胡散臭さも、そのような鎖国的心情の現れなのだと思う。

日本は風光明媚を売りにするガーデニング(築庭)国家としてやっていくべきではないだろうか。つまり山田 芳裕のマンガ『しわあせ』で描かれているような、八百屋が小学生の「なりたい職業No.1」であるような国に。それはまた、かつて高度成長時代の日本人の憧れだったあのスイスのように、親孝行なパンクであふれる平和で退屈な国ということでもある。

そのためには、まだ金があるうちに国家予算を景観設計や造園につぎ込んで国中の土建屋にはことごとく造園業に転職してもらい、電信柱を地中化し、都市を再計画し、とにかく現在そこら中に散在する景観を害する産業社会資本をデザインしなおしていく必要があるのだが、そんな気配は今のところどこにもないね。