みんなUFOのせいだってことでいいかな 〜バーバー〜

2001年、コーエン兄弟による映画『バーバー』を観ました。

白黒。ベートーベンのピアノソナタビリー・ボブ・ソーントン演じるエドの無口さが印象的だった。

しかし不思議な映画だ。後から考えなおしてみると、いろんな疑問が次から次へとわき出てくるのだ。

正直言って、いまいち中途半端なシナリオだと思う。UFOとか「おかま」などというモチーフはバッサリ切り捨てて、中心となる物語の感情をもっと掘り下げたほうがよかったのではないか?

というか、このシナリオの一番の難点は、エドが結局妻を本当に愛していたのかどうかが曖昧、というか、矛盾したサインが出ているということ。

エドの行為が唯一弁護されうるとしたら、その根拠は、エドが最後まで妻を愛していたという点にしか見出せない気がするのだ。

なのにエドは最後に死刑になるとき、自分のやったことは「何も悔いていない」と言う。ってことは、あの妻との味気ないながらも愛のある生活や、妻自身を失ったことは、別にどうでもいいってことなのか?ぜんぜんこたえていないってことなのか?

あの妻との生活をまったく価値のないものと考えていたとすれば、エドという人間は本当に空っぽな、無意味な人間だったということにはならないか。

そこでUFOなのだろうか?難しいことは考えるな、みんな宇宙人の仕業なんだと。

うむ〜やっぱりようわからん。