日本の政治状況をめぐる仮説w

日本ではせっかく政権交代したというのに、どうしてこうも政治がぱっとしないのでしょうねえ。かのアメリカでは、オバマ大統領が大喧嘩をした末に医療改革法案を通し、核安保サミットを開催し、のびのびと自分の政治をしているというのに。日本の政治家はどうして政権を取ると、公約をごまかすこと以外には何も仕事をしていないようにしか見えないのだろうか?

「それは日本の政治家が無能だからだ」という説明は聞き飽きた。だからここでは別の可能性を探ってみたい。政治家の無能力という説明のほかに、思い当たることはなかったろうか?

仮説その1:日本の政権を取り巻く環境には、政治家にその能力を発揮させず、阿片のように認識をくもらせるオーラがある。それは官僚からのさまざまな圧力であり、また官庁を含めた政府システムの不備・欠陥であり、マスコミや国民をも含めた、政治家を神経衰弱に追い込む全体的な雰囲気である。最近すっかり自信を失った日本人は何も一人で責任が取れない、したがって決断や実行もできないという、歪んだ精神構造になってしまっているのだ。

仮説その2:日本はアメリカとは違い、自分の力で運命を切り開いていける範囲が限られているので、自然、政治における選択肢も少なくなる。日本は今にっちもさっちもいかない状況にいるのであって、どの政党が政権につき誰が総理大臣になろうが、できることは限られている。

仮説その3:代々の政権は、実はうまくやってる。案件は着実に片付いていっているし、国民には不満だったり中途半端に見える決着も、実はそれがベストの選択なのである。子供手当ての結果として富裕層が一番多く恩恵をこうむったり、高速道路の料金が多くの場合で逆に値上げになったり、国の借金が増えたり、郵便貯金の限度額が引き上げられたりしたのも、はるかに多くの情報に触れることのできる政治家と役人たちの深慮遠謀の結果なのである。ただ、判断の根拠や、その深慮遠謀とやらをどうして国民に説明しようとしないのかは謎である。
オバマがのびのびとやりたい政治をやっている、などと見えるのは、ニュースに映るアメリカ人政治家たちの自信たっぷりな態度を見てそう思い込まされているだけなのであって、実は日本とそんなに政治の実情(酷さ)は変わらない、いや、多くの場合、日本の方がマシとさえ言えるのだ。

仮説その4:政治活動といえば投票ぐらいしかしないくせに政治家が自分に何かよいことをしてくれるなどと期待する人は、政治というものを誤解している。政治というものは金や利権の分捕り合戦なのであって、そこではヤクザ的な意味で力のあるもの、声の大きいもの、ようするに「有力者」が得をするに決まっているのだ。ルールを守っていれば政治家がみなに平等に利権や金を配分してくれるなどと期待するのは甘すぎる。投票なんてヤクザだってやるが、そんなものは組長のひと声で翻るのだ。有体に言えば、投票などというものは国民に民主主義の幻想を抱かせるためのトリックに過ぎない。
政治家が自分たちと同じ姿勢の人々、同じ人種だと思うから理解ができず不思議に思えてくるのであって、最初からヤクザと同等の、自分たちの利権や金の確保のために全能力を傾け、智謀を凝らし、言葉でも態度でもウソをつき、それをマスコミや国民になんと非難されようが、そんなことには何の興味も抱かない人々なのだと考えれば、すべてつじつまがあうのだ。現在の政党も実は富裕層の利益を代表しているのであり、だからあのような子供手当てになるし、郵政改革になるのだ。
だからこそ投票以外の政治活動が絶対に必要で、それをしない限り、誰も好き好んで何の得にもならない労働者やサラリーマンや女性のための施政などおこなわないのだ。ある集団が別の集団に、自分の利益を削ってまで便宜を図るのは、それによって別の利益が得られるときか、あるいは力によって強制されたときだけなのだ。行動あるのみ!アクションあるのみ!

仮説その5:この世は幻、万物はみな無である。政治もまた幻であり、ありもしない活動の影にすぎない。手持ちの金が、年に数万円ほど増減したところで、それがあなたの日常にどれほどの関わりがあるというのか?餓鬼のように幻を追い、不安に駆られて他人の欲を追うのをやめて、自分の内面を見つめよ。あなたとテレビに映る政治家たちとは何の縁もなく、つながりもない。選挙により市民の義務を果たし、全国民とつながる、などという迷妄に満ちた幻想を捨てよ。