少女にとっての生きにくさ 〜渋谷〜

藤原新也『渋谷』

小説としてすごくよかった。この人の現実を型にはめる力、美化する力はすごいと思う。べつに非難ではない。人の手によって美化され、整形された「現実」に人は勇気を与えられる。それが芸というものだ。写真もまた人の手によって美化され、整形された「現実」である。

以下、印象にのこった部分を引用。

インタビューが終わるとじゃーねとそう言って少女は分厚いアイシャドウやマスカラのくっついた目にぎこちない笑みを浮かべて明るくその場を立ち去りました。カメラは雑踏にまぎれこむ少女の後ろ姿を追っていたんですが、少女はまるで所帯道具一式が入っているんじゃないかと思えるほどの大小のクロスバッグを両肩に提げ、華奢な背中が大きく傾いでいた。十五、六くらいの子だった。痛々しい感じがした。こんなに若くしてたったひとりで何か大きな人生の重荷を背負ってでもいるような。そんな子って最近多いですから。

「……すごいことなんだな」
「何が?」
「整形って」
「そうだよ。整形で生まれ変わることもあるんだよ」
「……たしかにすごいことだとは思うけど、それは本当に生まれ変わったということなんだろうか」
「女の子ってちょっとしたことで変わるでしょ。着てるものとか化粧ひとつで違った自分になったりするし」
「そこは男と違うのかなぁ」
「だからアタシはそのテレビ見て自分もその子のように変わりたいって思ったの」
「で、いつ整形するの?」
「ひょっとするとしないかもしれない」
「なぜ?」
「ミューレに出会ったから」
「ミューレって?」
「さっき話に出てきたでしょ」
「誰?」
「文通してるお姉さん……」
「あぁ、109の」
「ミューレは洋服とアクセサリーを売ってる店の子だったんだけど、ある日その店に入ったらすごく素敵な笑顔をくれたの。何かアタシのことが全部わかってるみたいに。いやきっとわかってたんだと思う。ミューレは言ったの。あなたドッペルゲンガーみたいねって。アタシその言葉知らなかったから何って聞いたの。そしたらここにいるのはあなたの分身であなたはそこにいないって。じゃ分身じゃないアタシはどこにいるのって聞いたらもうひとつのあなたもあなたのドッペルゲンガーだからどこにもいないんだって。
ぞっとした。だけどミューレはどこにもいないことはマイナスじゃないって言った。真っ白だからそこに魔法の絵を描けるんだよって。あなたの顔の上に本当の気持をこめてもうひとつの顔を描くとそれがあなたになるんだって。そしてミューレは店が終わってから試着室で化粧をしてくれたの。
アタシは大きな鏡の前に座った。
ミューレはどういう自分になりたいのって聞いた。
ビョークみたいにしてほしいって言った」
「ほう」
「北欧の歌手なんだけどちょっとサムい感じのする子。っていうかもう結婚して子供もいるんだけど、それでもまだサムい感じ。だけど寂しい感じがするのにすごく強い自分があるの。自分がどこの誰かわからなくなって寒気と頭痛がするようになったときビョークを聴くと気分が落ち着く。だから自分がビョークになってしまえば強くなれて気分が落ち着くんじゃないかって。
ミューレはそれはいいわねって言った。きっとうまく行くって言った。眉毛はぜんぜんちがうけど、肌の感じとか顔の輪郭がすごく似てるんだって。
長い時間かけてミューレは化粧をしてくれた。
アタシは鏡を見るのが怖くて目を閉じてた。
ミューレが柔らかいブラシとかで顔にやさしく触れるたびにアタシは知らず知らず涙を流してた。そのたびに化粧が崩れたけどミューレはまた泣いたわねって言うだけで文句ひとつ言わずやり直してくれたの。やっとできたら、ミューレはもう泣かないでねって言った。あなたはビョークみたいに強くなったんだから、泣いたらもうビョークじゃなくなるからって。それから目を開けた。えっ、これがアタシって。まるで他人を見てるようだった。アタシの後ろに誰かがいて鏡に映ってるんじゃないかって思って後ろを振り向いたけど誰もいなかった。涙が出そうになったけどぜったいに我慢しなきゃって、気持を引き締めたの。
ミューレはそれを見ていて、生まれ変わったわねって言ってくれた」

ちょうど今、渋谷のユーロスペースでこの本が原作の『渋谷』という映画をやっているらしい。観てみようかな。