人生の喜怒哀楽と永劫回帰の物語 〜春夏秋冬そして春〜

キム・ギドク監督『春夏秋冬そして春』(2003年)みました。

あらすじ


ある湖の真ん中に浮かぶ寺。湖の周囲は高い山に囲まれている。寺と周囲の陸地の間はボートで行き来するようになっている。陸地側の船着き場には一本の大樹と、仁王が描かれた両開きの木の扉がある。扉はそれだけで立っていて、横を通ろうと思えば通れるがみなちゃんとその扉を通る。(タルコフスキーの『ノスタルジア』にやはりこれと同じ枠だけの扉があった。)寺の中にも同じような横に壁のない扉がある。
寺には初老の和尚さんと五歳ぐらいの子供の僧が住んでいる。子供は船で陸地に渡り山の中で薬草を採る。しかし腕白盛りの子供は生き物にいたずらをする。魚に糸で小さな石を縛りつける。カエルとヘビにも同じことをする。子供は生き物たちが難渋するのを見て笑う。その様子をいつやって来たのか和尚さんが岩の上から見ている。
その夜、子供が寝てから和尚さんは大きな石を子供の背中にくくりつける。朝起きてそれに気づいた子供は和尚さんに「とってください」と頼む。
「おまえに石をくくりつけられた魚は今どうなっておる?カエルは?蛇は?みんな見つけて石をとってやりなさい。お前のはそれからだ。もし一匹でも死んでいるものがあれば、おまえは心の中に重い石を抱えながらこれから生きていくことになるだろう」
子供は背中に石をつけたまま動物たちを探しに行く。魚は水底で死んでいた。糸をほどき魚を土に埋める。カエルは生きていた。糸をほどいてはなしてやる。蛇は死んでいた。子供はその蛇をみながら号泣する。その様子を和尚さんが後ろの岩の上から見ている。


子供の僧は高校生ほどになっている。そこへ彼と同じぐらいの年齢の心身に病を抱えた若い女が寺で生活をするためにやってくる。やがて女と若い僧は仲良くなり、肉体関係を持つ。夜は和尚さんの目を盗んで一緒に眠る。ある日二人が抱き合ったままボートの中で眠っているところを和尚さんに発見される。女は健康になったので寺を去る。若い僧は女と離ればなれになるのがたえられず、夜中に仏像とともに寺を去る。


寺では年老いた和尚さんが一人で暮らしている。ある日食べ物を包んでいた新聞紙にあのかつての若い僧(今は三十歳代の男)が妻を殺して逃走したという記事を見つける。そしてその男が寺にやってくる。和尚さんは男を黙って受け入れる。
男は妻が浮気をしたので殺したと打ち明ける。「お前は世間知らずだな。手に入れたものはいつかかならず失われる」と和尚。愛していたのに裏切るとは許せないと言う。そして妻を殺したままの血の跡のついたナイフを寺の床に突き立てて荒れ狂う。
やがて男は「閉」という字を書いた紙を目と鼻と口の上に貼って自殺しようとする。すると和尚が棒で男を叩きのめす。「人を殺したからといって自分を殺すな」和尚は男をひもで縛って吊す。
ようやく落ち着いてきた男は髪を切り、僧衣をまとう。和尚は猫の尾を使って寺の本堂の前の木の床に般若心経を書き、男にその文字をナイフで彫るように言う。男が彫っていると刑事二人が男を捕まえにやってくる。ナイフを持って身構える男。「何をしておる。彫り続けろ」と和尚。そして刑事には「心を静めるために般若心経を彫っております」「いつまでかかります?」「明日の朝までには」刑事は待つことにする。
最初のうちは刑事の行動(拳銃で湖に浮かんだ空き缶を撃ち合いする)にいちいち気を立てていた男も彫りすすむにしたがって落ち着いてくる。手を血だらけにしながら男は無心に経を彫り続ける。すると刑事たちにもその心境が伝わり刑事たちも神妙になる。次の日の朝、銃を横に置いたまま眠っていた刑事がふと目を覚ますと男は経を掘り終わり、その場に崩れるように横たわっている。刑事は自分の上着を脱いで男にかけてやる。それから和尚がすり鉢で鉱物や植物をすりつぶしていろんな色の絵の具を作り男が彫った字の部分に刑事たちも協力して色をつけていく。男が目を覚ますと文字にはすっかり色がついている。「別れの時だ」と和尚。それまで固定されていたお堂が船のように湖面を移動する。男を乗せたボートが進まなくなるが和尚が気を抜くと進み始める。刑事たちは男に手錠をかけずに連れていく。
和尚はボートの上に薪を積み上げた上に座り目と耳と鼻口に「閉」と書いた紙を貼り、薪に火を放って燃えてしまう。


刑期を終えた男が寺に帰ってくる。湖には氷が張っている。男はまず沈んだまま凍り付いているボートから和尚の骨を拾い上げ、氷のかたまりを削ってつくった仏の頭にその骨を埋め込んで滝に安置する。そして湖面の一点に斧で穴をあけてそこから出る水で生活をする。男は寺にあった本を見ながら体を鍛える。
ある日赤ん坊をつれた女がやってくる。女は顔を薄い布で覆っている。内側からは外が見えるが外からは女の顔が見えない。女たちは寺で泊まり、女は布をかぶったまましくしくと泣いて目の辺りの布が濡れる。次の日の朝はやく女は逃げるように一人で寺をあとにし凍った湖の上を歩いていくが、男が生活用に開けた穴にはまって死んでしまう。赤ん坊が凍った湖面の上を這いながら母親のあとを追うが、男が追いついて抱き上げる。
男は寺にしまってあった観音像を持ち、腰に大きな石を縄でくくりつけて、湖を取り囲む山の頂上まで苦労してはい上がる。背景にアリランが流れる。元気に動き回る魚、カエル、蛇の姿が挟み込まれる。湖と寺を見下ろす頂に観音像を安置する。


赤ん坊は大きくなり、最初の春のシーンの男と同じぐらいの年齢になっている。男の子はカメをいじって遊んでいる。


小さな寺とその周りの湖と山という小さな世界の場の力の物語。戦いによって他の生き物を傷つけながらも何かを勝ち取っていくという「俗世」の論理がこの場では無効になる。常に自分自身とだけ戦いながら怒りや憎しみを捨て去っていくとあとには哀しみだけが残る。人生の哀しみを美の中に昇華し溶かしこむという生き方。世界を変えるのではなく自分を変える。演歌の美学。キリスト教ピエタの美学。ある意味ではやはり東洋的。ニーチェ風に悪く言えば奴隷の倫理とも言えるかも知れない。大きな石を引きずりながら苦労して山を登るあの男は一体何と戦っているのか。やっぱり自分と?自分の心の平安のために?

映画はすばらしいけれど、そのメッセージは私の卑近な日常生活に応用するにはあまりにも美学的運命論的と感じました。

あと背後に流れる音楽がとてもよかった。