こわい話 〜ベイトソン『精神の生態学』〜

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グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』より。

P夫妻は結婚して十八年ほどになるが、十六歳の息子は破瓜病の傾向があった。結婚生活は平穏とは言い難く、常に互いの敵意がむき出しになる状態である。しかし妻は庭いじりが大好きで、ある日曜の昼下がり、夫とふたりでバラの苗を植えた。そのうち彼女のバラ園が誕生するはずであった。それは滅多に味わえぬ楽しい時だった、と彼女は回想する。月曜の朝、いつものようにP氏は出勤した。そして夫の留守に彼女は全く知らぬ人から電話をもらった。電話の主は申し訳なさそうに、奥様はいつ家を空けてくださるのかと尋ねた。これは少なからぬ驚きであった。夫人は知らなかったのだが、夫の視点から見ると、バラ園を作るための共同作業が持つメッセージは、彼がその前の週に家を売ることに同意していたという、より大きなコンテクストの枠に組み込まれたものだったのである。

思いこみとかボタンの掛け違いということはままあるけど、これほどふたりで同じことをしていてもその前提(コンテキスト)がちがっていることはあまりない……のだろうか?これも自分の思いこみなのかも……と疑い出すと切りがないところが怖い。

それに、夫がほんとに妻も自分と同じコンテクストを共有していると思っていたのかどうか……ここにも(決して証明できない)悪意の影が見えて(それとも被害妄想?)、ホント中にいたら疑心暗鬼と憎しみの泥沼に落ちいりそう。